ビジョンクエスト最終日

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過去を振り返って思ったのはシンプルなことだ。

何もなくたって生きているだけで満たされている。

そんな綺麗事が身に沁みる。現代社会にはノイズが多くてこんなこと当たり前で大事なこともすぐに埋もれてしまう。今までどれだけの命をいただいて、どれだけの愛をいただいて僕が生きていられるのか。

こうやって自然の中にいて、情報からも隔絶されてなお、思考は晴れやかとはいかない。意識は分散して表面をなぞっているように浅い思考が次々と浮かんでくる。普段の生活ではこれ以上にたくさんの外部刺激や自分の生み出す思考の群れに晒されているのだから、頑張ってるなと思う。安易な快楽に飛びつきたくなってしまうのも無理からぬことだ。

何かにフォーカスをしようとしてもそんな多種多様な情報の波が押し寄せてくる。だからこそこうやってビジョンクエストほど大袈裟にしなくても瞑想やマインドフルネスが現代人に必要とされているんだろう。

さて、そんな考察も頭に浮かべながら外を見ると、辺りは暗くなり始めていた。もうそんなに時間が経ったのかと驚きもありつつ、過去を振り返る中で何度か寝落ちもしていたので冷静に考えるとまあ納得だ。

次は未来のことでも考えるか。

人は暇になると色々と考えるものである。

未来について

はっきり言って遠い未来は見えない。そして大して決めるつもりもないのが正直な気持ちだ。学びや成長をし続けるという大きな方向は持ちつつも流れや状況に委ねたいスタイルが性に合っている。

人生設計なんてものは、この何が起きるのかわからないカオスの世界(VUCAとかいうらしい)ではあんまり当てにならないと思う。人生でやりたいことはたくさんあるから、その優先順位をつけてとにかくやっていくことになるんだろう。

僕が直近で一番したいことは旅だ。

気ままに旅がしたい。多くのものを見たい。人類の営みを見たい。価値観に触れて自分の価値観を揺るがしたい。自分のペースであるがままにたくさんの経験を積みたい。何よりも、自由を感じたい。

大学生の頃に読んだ『深夜特急』に影響を受けて、著者が旅に出た26歳のうちには絶対に日本を出ようと決めていた。何の根拠もない。ただのこじつけだけど、ここにはこだわりたい。

旅は最も優先順位の高いイベントだ。世界を好きに周る。これだけは譲らない。

世界を見ないままで死ぬのが嫌だから。

そして旅先で思いのままに文章を綴るんだ。言語もたくさん習得したい。「10ヶ国語喋れるようになるまで帰れま10」みたいな縛りを考えている。

とにかく自由で在りたい。将来は好きな時に好きな場所で好きな人たちといることにする。そう嘘偽りなく言える自分で在りたい。

旅には若いうちにより多くの価値観に触れることで人生にレバレッジが効くという打算もある。最近ハマっている言葉は「複利」で、と言っても金融に限らない。自分にとにかく知的投資をし続けることが僕の生きがいだ。読みたい本もたくさんあるし、「旅と本」というのが僕の人生のキーコンセプトになりそうだ。

とりあえず目先はUMIKAZEで旅の準備をしつつ(金銭的にも知識的にも仕事的にも)暮らすことになるだろうな。本当に楽しみだ。

最初はニュージーランドでワーホリかな。

移住した当初考えていたことだが、田舎のスローライフみたいな暮らしをあっちでやろうと思う。移住して2年半、当初の期待とは裏腹に何とも忙しなかった。でも後悔はない。自分で選んだことだし、何より色々とやっていく中でより自分の軸がはっきりと見えてきた。得意不得意や性質も理解できたし、本当にここでしか味わえない経験ばかりで、来年の8月には(僕の誕生日は8月)出ることを考えると寂しさも覚える。

だけどワクワクの方が大きいし、関わりがなくなるわけではない。僕が旅先で生み出す言葉や経験がこのコミュニティの価値になるような仕組みができてその中で関わりを保てたら嬉しい気がする。

ニュージランドでは恋愛をしよう。

英語に浸かってこよう。

見たことない景色をたくさん味わおう。

そんな未来くらいしか今は見えていない。

そのさきは気ままにのらりくらりと旅をする暮らし。

その後は…全くわからない。

最終日の朝

気がつくと空が白み始めている。

雨はかなり小降りだ。

寝袋から抜け出し木の下に座る。

朝の少しひんやりとした湿気を含む空気が美味しい。

水を飲まなくとも渇きをほとんど感じなかったのはこの雨のおかげだろう。

最終日にしてなお、特段の飢えや渇きに苦しむことはなかった。

7時のチャイムが聞こえる。

研ちゃんは何時に来るんだろうか…少し帰ってからのご飯などが待ち遠しく感じる自分もいる。

そう思うとお腹が減ってくるから不思議だ。マインドフルネスの要領で、体の感覚に意識を向けるとだんだんと消えていく。

最初はこのまま座り続けて迎えがくるのを待とうかとも思ったが、少しずつじんわりと濡れていく自分の体と、時間がよくわからない不安とで一旦は寝袋に潜って待つことにした。

「そもそも今日で終わりだったっけ?3泊4日?これじゃ4日間ではなくて丸3日じゃないか?もしかして間違えてる?というか4日目だっけ?いや、間違ってないはずだ。」

そんな思考も出てきて一抹の不安を抱えつつ迎えを待つ。

この3日間を振り返る。

僕は何かを得て帰れるだろうか?

かなりの時間を寝て過ごしたような気もする。

思考もヴィパッサナー瞑想の時ほど明瞭ではなかったし、特別なビジョンのようなものは見えなかった。

ただ、未来や日々の生き方について、輪郭は少しはっきりしたように思う。

これがビジョンと言われればそうなのかもしれない。

「より自分を愛し、世界を愛し、自由に生きる」そんな決意と「恵まれ、愛されていることに気づくこと」。

これは人生のテーマだろう。

ぼんやりとした視界の解像度が少し上がった気がする。

視力トレーニングのおかげだろうか?

違う気もするが、どちらでもいい。

この感覚を日常でも忘れないように生きよう。

そう思い荷物の片付けを始める。

もうすぐ迎えが来る。はずだ。

周りの自然たちに「見守ってくれていて、ありがとう。」と感謝しながら。

寝袋やブルーシートも「君たちがいなかったら死んでたかも」と敬意を表し。

何よりも「みんなと自分お疲れ様」。

エピローグ

帰りの山道は行きの2倍くらい時間がかかった。

みんな飲まず食わずでかなり体力が落ちている。

僕自身も女性たちの手前、強がってはいたが明らかな体力の落ちを感じる。

小ぶりとはいえ雨に打たれながら歩む山道を、ぬかるみに滑りながら進んだ。

みんなよう頑張ったなと思う。何度も休み休み、重いバックパックを背負いながらなんとかUMIKAZEにたどり着き、終わりの儀式へ移る。

ホッと火を囲むとその暖かさに皆の表情が緩む。濡れた体を暖めながらそれぞれの体験や感じたことを聞き、タバコや薬草や焚き火の香りに人のいる世界に半分戻ってきたような感覚を覚える。厳かで平穏なネイティブアメリカンの歌に、ほとんどあがりつつあった雨が強弱のリズムを加え、鳥たちの声も彩りが豊かになっていく。

一連のセレモニーを終えるといよいよ皆が待ちに待った昼食(と言っていいのだろうか?)が待っていた。あったかいお粥。「いただきます!」口に含み飲み込むと体の底まで染み込むのがわかる。ただただありがたい。空腹は最高の調味料とはよく言ったものだが、みんな本当に幸せそうないい顔をしていた。

この時ほど一口一口を噛み締める食事はほとんどないだろう。

日常からこんなふうに感謝して味わえたら豊かだが、すぐに忘れてしまうのが人間の恐ろしい性だ。

定期的に思い出して、目の前の豊かさに目をしっかりと向けよう。

この後は温泉だ。ああ幸せだ。

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