小説『海風』第14話

蝉が声高に叫び、テントがうっすらと明るくなる。
空が白み、もう少しで太陽が顔を覗かせるようだ。
俺は寝袋から這い出して網戸のファスナーを一周させる。正確には半周くらいか。

どうやらこのキャンプ場からは日の出が見えるらしい。ただ、「少し歩くと砂浜があって、太平洋から顔を出す姿の方が迫力はありますよ」と管理人から教えられ、今日は早起きをして浜辺で太陽と向かい合うことにした。

「おい、そろそろ日の出だぞ!」
同じテントで寝ていた二人に声をかけるが、彼女はもうすでにテント内にはいなかった。相変わらず早起きだな。それに比べて……
「おい、置いてくぞー。」
俺はあいつのくるまっている黒い寝袋を雑に揺らす。蹴飛ばそうと思ったがやめておいた。
「んん……起きるから、揺らすのはやめて。」
「オーケイ。揺らすのはやめてやる。だが……」
やはり蹴飛ばすことにした。うっと低い呻き声が響き、ようやく寝袋から這い出してくる。
「痛いんだけど。」
「揺らすのはやめたろ。さっさといくぞー。」
こうやってウダウダしている姿を見るとどうしてもイラついてしまう。こいつはいつもそうだ。
ピーピーと林の中に高音を響かせる鳥の鳴き声をBGMに俺たちは出発する。空に雲はなさそうだ。


「あ、二人ともおはよー!そろそろお日様がくるよ!」
朝からテンションが高い彼女が俺たちを見つけてはしゃいでいる。こっちこっちと大袈裟にジェスチャーをする彼女に向かって足跡をつけながら砂の感触を楽しむ。俺は砂浜につくなり裸足になったのだが、あいつはアウトドア用でもないし、ランニングシューズなのかスニーカーなのかも微妙な靴を履いている。無粋なやつだと内心ムッとしながら彼女の足元を見やると、やはり裸足だった。海の楽しみ方をわきまえている。
三人で横並びに冷たい砂に腰を下ろし太陽の誕生を待っていた。周りには、ヒラメか何かを狙って海に浸かりながら釣り糸を垂らしている人や波を待つサーファーたち。砂浜に座って日の出を待つのは意外に俺たちくらいだった。
「お!お出ましだな!」
「うん!」
水平線からゆっくりとオレンジとも黄色とも赤とも言えない光が広がっていく。照らされた砂浜は命を宿したようにキラキラと反射光を照りつける。水上で一筋に通る光の帯は風に揺れる、輝く吊り橋のようにも見える。
俺たちは黙って見つめていた。波が弾ける音だけがはっきりと響いている。朝日の逆光に照らされて一人のサーファーがボードに立ち波に乗るのが見えた。


ガタンっとした電車の揺れで目が覚める。F分の1の揺らぎの心地よさに意識を奪われていたようだ。キャンプ場からは片道で4時間ほど。そりゃあ眠くもなるわな、と豪快にあくびをしながら思う。乗り換えは案外少なくて済むがなかなかに長い。そういえばあいつらは上手くいったかな、と一人で帰ることになった原因たる二人に思いを巡らせる。まあ間違いなく付き合うことになるだろうな。

「ごめんなんだけど、二人きりにして欲しいんだよね……なんとかならないかな?」
砂浜を跳ねるように歩いていた彼女はスッと俺に身を寄せて小声で呟く。
「じゃあ先帰るから適当によろしく。予定あるとかなんとか言っといて。」
俺は特に予定もなかったが、別に一人も苦ではなくむしろ好きなくらいだし構わない。寝るか本でも読んでいれば自然と電車は俺を家の近くまで運んでくれる。彼女は少し緊張と嬉しさの混じったような笑みを浮かべながら、ありがとうと手を合わせ拝むような仕草をした。そして踵を返して、対照的なくらいトボトボと下を向いて歩くアイツのところへ向かう。「全くいいコンビだと思うよ」と皮肉と苦笑まじりに俺は独りごつ。光と影の如き二人が並んで歩く後ろ姿は案外お似合いに見えた。

ふとLINEでもきてるんじゃないかとスマホに目を落とすが、通知はなかった。今頃は二人で観光だろうか。まあこれでこれからはアイツも色々と向き合うことになる。彼女を通して自分自身や俺ともだ。ようやくそういう時期になったんだろう。今まで目を背け続けてきた現実に、自分自身に、相対することになる。彼女ならきっと俺には開かせることのできなかったアイツの心に触れられるかもしれない。そして……いや、あまり希望的観測をするのはやめておこう。逃げる可能性の方が高いのだ。どれだけ逃げ続けてきたのか、どれだけ様々なものを押し殺してきたのか、どれだけ見ないように現実を歪めてきたのか、それに気づけるだろうかと考えると頭が痛くなってくる。

もしも彼女ですらアイツの目を覚まさせることができなかったなら……

彼女には、死んでもらわなくてはいけないかもしれないな。

ゴトンっと音を立てて電車が揺れる。俺は『罪と罰』を手に取った。



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