未来【先端科学】の章

今回は「未来【先端技術】の章」です。
目覚ましい技術的発展をしてきた人類。
加速する発展と共に生きる僕たちは、
どう生きるべきか考えたいと思います!

技術の発展について

近年の技術進歩の凄まじさは今を生きる僕らにとって実感しやすいことだと思います。
産業革命以降の機械化、グローバル化、情報化の流れは留まることを知りません。
生活は安定し、便利になり、目覚ましい経済発展をしてきました。技術の進歩によって昔では考えられなかった様々なことが現実化してきたのは言うまでもないでしょう。

多くの人がインターネットから膨大な情報、知識、人々にアクセスすることができます。
寿命は大幅に改善し、貧困に苦しむ人も減って、教育を受けられる子どもの数も増えているなど、生活水準が上がっているデータも数多くあり、世界はより平等で暮らしやすくなっている印象を受けます。

ただし発展にはもちろん副作用もありました。

近代の2度にわたる世界大戦では、これまでのどの戦争も小規模に思えるほどの死傷者が出ています。第一次大戦では3500万人以上、第二次大戦では8000万人とも言われますが(民間人や飢饉などの被害者も含む)、殺傷力の高い兵器が開発されたことが大きな要因でしょう。
核爆弾を始め、航空機、戦車、潜水艦、さらには毒ガス兵器なども世界大戦から使われ始めました。

経済発展を第一として、大規模な土地の開発、森林の伐採、工業化に伴う大気汚染を始めとした自然環境の破壊も著しく進みました。非常に多くの要素が絡んでいるため因果関係は証明し難いですが、多くの人が実感するように地球温暖化が進んでおり、異常気象の発生頻度も高くなっています。

人類は科学技術を発展させることで、より多くのエネルギーを扱えるようになってきました
ただし、その分扱い方を間違えれば大きな事故を引き起こしかねません
原子力発電所の事故は記憶に新しいですね。個人の扱えるエネルギーが大きくなればテロの被害規模も大きくなり得ますし、偏った思想の持ち主によって国が運営されれば核戦争なども起こらないとは言い切れません。
「ナイフは果物を切るにも人を傷つけるにも使える」というのは月並みな表現ですが、どんな技術も毒にも薬にもなり得ます。

科学の発展だけを考える態度は様々なジレンマに直面しているのです。
これから考えなくてはならないのは、「何のために開発しどう活用するのか」という技術者倫理であり、目的意識を個々人が考えた上で技術を扱っていくことだと思います。

発展の目的とは何だったか

これまで人類は何のために技術を発展させてきたのか。
おそらくは「生き残りやすくなるため」でしょう。

原始時代、わたしたちの祖先は非常に危険な状況を生き延びてきました。そこらにいる動物たちよりも力やスピードで劣り、単純に不利な肉体をしています。それを補うために道具を使い、集団で団結し、知恵やチームワークを駆使して生き残ってきました

打製石器から磨製石器、金属器などによって、より効率的に獲物を狩ったり、木や肉などを切ったり、農業に利用したりと、道具の発展が生活を安定させ、人口を増やすための大きな要素となっていたのは想像に難くありません。また、優れた道具があれば他の動物だけでなく、部族や集落同士の競争上でも有意に立つことができます。

人類(ホモ・サピエンス)の集団が各地に広がって勢力を拡大するにつれ、そういった人間同士の争いも行われてきました。それが国同士になれば戦争です。自然界の脅威をある程度まで克服した人類は、人類同士での戦争を生き残り自分の遺伝子を残そうという競争原理の元、技術を発展させることになっていったのではないでしょうか。戦争など直接の衝突ももちろん(サイバー上も含む)ですが、現在では経済的な面で他国よりも優位な立場に立つことが技術発展の目的であり、それは元を辿れば「自分の遺伝子を残し、自らも生き残るために行動せよ」というDNAに刻まれた本能だということです。

しかしながら現在は最初に触れた通り、技術発展が進みすぎた結果として、ヒューマンエラー、悪意のある権力や思想、不慮の事故などによって、人類全体を巻き込んだ事態を引き起こしかねないほどのエネルギーを扱っています。
生き残るための発展がむしろ自分達を滅ぼしかねない状況になってしまいました。
経済成長を目的とした発展も、環境破壊、健康被害、依存症など様々な弊害を生み出しています。

だからこそこれからは、何のために発展させ、人類全体としてその技術をどう扱うのかという技術者倫理を改めて考える必要があると考えます。それは技術者だけでなく、扱うことになるわたしたち一人ひとりが意見を持ち、社会に反映させていく必要もあるでしょう。

人間とは何か?

ここでちょっとした思考実験をしてみたいと思います。

”人間とは何か?”

みなさんはどう思いますか?

DNAで簡単にわかる!かもしれませんが、ではDNAを書き換えた場合はどうなるでしょう?
もし他の動物の細胞などを埋め込んで能力を拡張したら?
チャーリーは人間とは言えないでしょうか?(漫画『ダーウィン事変』の主人公。人間とチンパンジーのハーフで作中ではヒューマンジーと呼ばれている)

サイボーグのように手足を改造するくらいではまだ人間と思えるかもしれません。
ですが体全部が機械でできており、そこに人間のデータを完全に再現したらどうでしょうか?
これは人間とは言えなそうですね。
では、何割まで肉体が残っていれば人間でしょうか?
8割が機械でも人間でしょうか?
人間以外の動物の細胞から作られた臓器を移植したりしたら?

感覚器官を拡張した場合はどうでしょう?
人には五感と呼ばれる感覚がありますが、そこにないものを脳内に電極を刺すなどして拡張したら?
磁力を感知したり、赤外線や紫外線まで見えるような目を持ったら?聞こえる周波数を拡張したら?

アバターのような存在は人間でしょうか?
明らかに違う気がしますが、自分の意思で動かしている自己という意味では、もしかしたら人間かもしれません。もし自分という存在が完全にデータ化されてそれが移植されたならどうでしょう?ジェイクは人間と呼べるでしょうか?(映画『アバター』の主人公)

もし、私たちに意思がなく、経験と環境によってどう動くのかがプログラミングされているのだとしたら、それを再現したAIなんかは人間でしょうか?

これらの技術はまだ、全く現実になっていないものもありますが、一部の技術は既に実現可能な段階にきています(五感を拡張したり、遺伝子操作した人間や、サイボーグ化など)。
また、メタバースやVR技術の発展によって、マトリックスやレディプレイヤーワンのような世界も現実のものになろうとしている感じがします。

改めて人間とは何か?
人間としての幸せは何か?

考えるべき局面を迎えているのではないでしょうか。

まとめ

現在進行形で様々な技術が開発され、ワクワクするような未来を期待されています。

機械はより洗練され、情報を処理する作業や単純労働も人間がやる必要がなくなり、2045年にはAIの知能は人間の知能に追いつくというシンギュラリティが起こると言われています。運転を始め多くのことが自動化され、人間の仕事はどんどんなくなるかもしれません。量子コンピュータによって今まで解析できなかったことも難なく計算できるようになるでしょう。

遺伝子操作によって、整形をしなくてもある程度理想的な自分や子どもをデザインすることができるかもしれません。老化や病気を克服し、不老を実現することができるかもしれません。

自分の情報をコンピュータに取り込むことで、肉体が死んだとしても電脳世界で生きることができるかもしれません。自分の体を機械に拡張していくサイボーグ化も進むかもしれません(攻殻機動隊みたいな世界になる?)。

副作用のない薬によってストレスがなくなり、常にハッピーでいられるような脳内物質を出せるかもしれません(電極などでも可能でしょう)。

自然に負荷がかからないような燃料の開発や、核融合などの電力確保手段が開発されるかもしれません。
もはや宇宙の資源を活用して無限のエネルギー源を活用することができるようになるかもしれません。

自分の遺伝子情報や行動履歴から、適性や最適な行動を導いてくれるAIなどによって悩むことがなくなるかもしれません。

常に社会が監視され、犯罪がなくなり、何もかも管理された安全な世界が実現するかもしれません。

さて、人間にとって本当の幸せは何だと思いますか?
ぜひ考えていきましょう!

「要するにきみは」とムスタファ・モンドは言った。

「不幸になる権利を要求しているわけだ」

「ああ、それでけっこう」

ジョンは挑むように言った。

「僕は不幸になる権利を要求しているんです」

『すばらしい新世界』オルダス=ハクスリー

参考/おすすめ書

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