2021年の振り返り第二弾と2022年の抱負

2021年はありがとうございました!

昨年は僕の人生で一番多くの人と出会えた一年な気がします。

キャンプ場のお客さん、イベントや開拓できてくれたみんな、その繋がりでまた人の輪が広がり、たくさんの人に出会うことができました。

本当にご縁には恵まれているなと思います。マジで良い人ばかり。

ありがたい。

本当に出会ってくれてありがとう。

今日はネガティブなことを全部吐き出しつつ最後は希望で締めたいなって思ってます笑

吐露

まず僕は自分に自信が持てなくて、何かお返しできているのか不安でしょうがないし、むしろ迷惑なんじゃないかという思考のくせがすごい強い。

後ろめたい感情、情けなさ、未熟さ、弱さ、恐怖、焦り、失望、申し訳なさ、苦しさ、面倒臭さ、諦め、不安……

そんなフィルターを通し、壁を作って人と接してしまう事が多いのは明確な課題。そんな課題がだんだんと色濃く浮かび上がって、目を背けたくなりながら、ちょっとずつだけど向き合っている日々。

たくさんの人と触れ合う中でそんな接し方をしてしまっている自分に嫌悪感を覚えることは多くて、振り返るのが怖くて怖くてしょうがない。

罪悪感や後悔ばかりが積み重なる。

体も心も鈍く、重く、起き上がるのも辛い。

心の中でたくさんの言葉が耳の奥に響く。

自分が嫌いでしょうがない。なんでこんな人間なんだろう。生きている事が罪なんじゃないか。代わりなんていくらでもいる。申し訳ない。もっと必死になって生きてる人がいるのに情けない。どうしようもないくらい呆れてしまう。嘘つきの裏切り者だ。信頼を足蹴にしてあぐらをかく。幸せになる資格はない。こんなやつは苦しんでいれば良い。苦しみ続けていれば良い。一生変わることなんてできない。そういう性質なんだ。吐き気がする。頭が痛い。気持ち悪い。喉や胸が締め付けられる。緊張して体が硬い。焦点が合わない。些細な事で泣く弱虫。自分の弱さに嫌気が差す。呼吸がしにくい。誰にも顔向けできない。思ったように声が出ない。自分の未熟さにイライラする。人の目を見れない。嫌われるのも怖い。取り繕った自分が崩れるのも怖い。本質的に劣った存在だから。価値のない人間だから。本当は差別され、蔑まれて当然の人間。継ぎ接ぎしても覆い隠せない真っ黒な自分。根暗で弱気でちっぽけで傲慢で気色の悪いグロテスクで生々しく、腐臭が漂った近寄りがたいもの。そんなことを考えてしまう自分は信頼してくれている人たちや出会ってくれた人たちに何て失礼なんだという嫌悪感。

あまりにも幼稚で矛盾した自分の中の言葉達に傷つけられる。いや、傷つけるのを選び取っているのは自分だ。いじめているのは自分自身だ。痛みを与えることを正当化するために、ネガティブな自己イメージを刷り込んでいる。自分はそういう人間だから、もっと傷つけなくちゃいけない。それはありのままの自分を制御する理性の声でもある。決して理性的ではないけれど。

飽きるほど繰り返した自己嫌悪の渦。飲み込まれてもっと深みに向かって沈めたら楽なのに、生きるためには動かなきゃいけない。仮面を被って仕方なく動く。そんな生き方をしている。

そう思い込もうとしている自分がいる。

そんな生き方がふさわしいクズなんだって思い込もうとしている。

本質がクズだからそうやって生きていくしかない。ありのままじゃ生きられない。ありのままでいたらいじめられる。

目的は自分を守るため。人からいじめられないため。嫌われないため。

なんだかんだそうやって生きてこれた。だからそこにしがみつく。ロジックではわかっている。そんな生き方で生きている意味はないと。だからこそしがみついて、意味のない自分を作り出す。認知的不協和。間違っているとわかっている無意味なセルフイメージに合わせて現実を生きている。

どんどん自分の弱さに執着し、セルフイメージの通りに落ちていく。

ネガティブの渦は強いなーって思います。一度入ると抜け出せない。すべてを諦めさせようとしてくる。そして、その生き方が身に染みついてしまっている負け犬根性の自分。とどんどんネガティブな感情がまたループしてくる。

勇気づけ

確かにそんな思考が自分の生き方に深く影響を及ぼしたのは間違いない。

だけど、そんな「人を信頼せず、裏切り、敵に仕立て上げて、壁を作り、失礼な考え方」は矛盾していて、どうしようもなく事実に反している。

いじめてくる人なんてほんの少数。

嫌われるのが怖いというのは、「人はみんな嫌ってくるだろう」という前提だ。

事実を見れば全くもって何の根拠もない。

データ上の外れ値でしかない。

単なる俺の被害妄想に過ぎない。

いじめられた事があったとしてもみんながそんなことをしてきたわけじゃない。

ネガティブな言葉で自分を下げているつもりでも、それは他人のことをこき下ろしているのと同じだ。

僕が後悔する行動は、他の誰かも同じような行動をしている場合もある。

そういう人たちを差別しているんだ。

自分だけ特別なクズにはどうやったってなれない。

単なる虚言だ。

もちろん、ミスもたくさんした。責任逃れをしようと逃げようとしてきた。それは言い逃れようのない。責任を背負いたくなかった。その弱さはあまりにもダサい。

このダサいという言葉も、人には発する事ができない。

自分だけを特別に無理やり見ようとしているからだ。それは、無価値な人間と宣いながら、価値を引っ張り出そうとしている。

矛盾を抱えていて脆い理論だ。

結構頑張ってきたじゃないか。そんな暴論でもわりとうまく人生を生きてきた。すごい気がする。俺って結構やるじゃん。もっといいイメージを持てたらきっともっとうまくやれるよ。

色々こんなに抱え込んでも、頑張って生きてきたんだ。

人間は誰だって変われるってわかっている。いや、全てのものは変わらざるを得ないってわかっている。

苦しいけど必死こいて生きてきたし、みんなも認めてくれてる。

自分を受け入れるくらいの器は俺にはあるはずだ。

他人を受け入れる器にだけは自信があるだろ。

それは自分が底辺だからじゃない。

みんな対等だからだ。

この一年、きっと初めてのことばかりだったはずだ。独立して自分の責任で生きていくことは簡単じゃない。俺の友達に俺みたいな奴がいたら自慢したいよ。もっと自信持ったっていいと思う。

自分を下げたって何も生まれない。対等に話したいだろ。

なんだかんだ勇気もあるよ。なかなかできる決断じゃない。

ミスだって仕方ないさ。

これまでこんな生き方してきたし、受動的な教育を受けてきたし、社会人経験だって全然ない。もちろんもっと気にかけることはできただろうけど、これから頑張っていこう。ただし2度とないようにちゃんと対策も考えること。

失敗を糧にしよう。

本当はもっと楽しく生きたいだろう?

喜びを感じたい。鮮やかに世界を見たい。笑顔でいたい。ありのままでいたい。

それが本音だ。

何よりも、頑張ってるよ、ありがとうの言葉をかけてくれるみんなに、俺に関わってくれるみんなに失礼でありたくない。

人間の可能性は無限とまではいかないけどめちゃくちゃすごい。

俺だって人間だ。

もっとかっこいい人間になれる。

抱負

今日、初日の出を見て、初詣に行って、誓ったこと。

自分を愛すること。

強くなること。

勇気を持つこと。

初日にして折れそうになることもすでにたくさんあった。

だけど、どんな自分でも、俺にとっては代わりなんて誰もいない。

たとえどんな自分でも見捨てることはできない。

愛してみせる。

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