2023年8月23日。僕は旅を始めた。南房総時代に真っ先に買った中古のスーパーカブと共に。
このカブちゃんは1999年に生産された。そして2020年に僕の元へとやってきた。いやむしろ僕が赴いたと言った方が適当かもしれない。バイクやさんで「原付ありますか?」と聞いて一台だけあったのがこのカブちゃんである。田舎暮らしを始めるにあたってどうしても足が必要で、即座に購入した。たいしたメンテナンスもせずに乗り続けた挙句、この無茶な1ヶ月の旅を共に乗り越えた、僕にとってのヒーローである。
旅を終えて振り返りとして書いている現在、彼はもういない。
なんとか最終日も無事に走り切ったカブちゃんだったが、もうボロボロで、涙の別れをした。
本当にありがとう。長い間、お疲れ様でした。こんなご主人でごめんね。君なしではこの物語は成り立たなかったよ。
最終日の朝、静岡から埼玉まで走り始めた直後、エンジンから異音がし始め、山道を登る途中で何度もエンストした。「あれ?最終日にしてまさかの?嘘だろ!あともうちょっとだ!頑張れ!」と山道で一人声を荒らげていた僕は少し変態だったかもしれない。マジで焦った。とてもじゃないが今のルートでは家に帰れない…そう考えて僕はナビが「Uターンしてください!」というのをガン無視しながら10kmほど走って、山を突っ切るのではなく比較的平坦な市街地から帰ることにした。ああこれは最終日のドラマなので詳しい話は後にしよう。
とにかく紆余曲折、さまざまな困難を乗り越えてなんとか埼玉の実家に期限通りに帰り着くことには成功したのである。めでたしめでたし。だが、エンジンの異音にとどまらない不調を抱えてしまったカブちゃんは、帰り着いた次の日には廃品回収に出されてしまったのでした。別れを惜しむ間もなく。とても喪失感がある。本当に片足を失ってしまったかのようだ。普通に交通の便があまり良いとは言えない実家付近ではいないと本当に不便だ。ああ悲しきかな。
前置きが長くなってしまったが、この西日本原付ぶらり旅は1ヶ月間で鹿児島の南にある屋久島を訪れて、そこから折り返して帰ってくるというものである。なぜ1ヶ月かと言えば友達の結婚式の日程がその1ヶ月後の日、つまり9月23日だからであった。50ccのカブちゃんには荷が重いのだが、僕という主人を持ってしまったのが運の尽きだ。こんな無茶な旅に付き合ってくれるのは物言わぬ機械くらいだろう。そして文字通りにたくさんの重たい荷物を限界まで積み込んで僕らは出発した。食糧(カップ麺、カロリーメイト、缶詰、プロテイン、サプリメント)やら、テントを始めとしたキャンプグッズ、着替えやPCなど、気がつけばバイクの前にも後ろにも荷物をくくりつけ、前にも後ろにもリュックを背負っていた。おかげさまでお尻はズタズタ、肩腰はバキバキだし、リュックも破れて使い物にならなくなり、カブちゃんまで失ってしまった。
それでも、本当にいい旅だった。
そんなこんなで出発したのは8月23日の朝8時ごろ。最初の目的地はふもとっぱらキャンプ場という、静岡県富士宮市にあるキャンプ場だ。富士山を目の前に広々とした大草原が不可避な、キャンプ場の中のキャンプ場である。初日なので、どれくらいの距離を1日で行くのがいいのか、体力などの塩梅を見極めるテストケースとして、とりあえず実家から150kmほどのこの場所にしてみた。原付でどれくらいかかるのかなーというのも気になっていたところである。何よりアニメ”ゆるキャン”の聖地であるこの場所は一度訪れてみたかったのだ。僕は絶対にカレーヌードルを食べるという固い決意を持って向かった。
川越から八王子の方を通り抜けて静岡へと進んでいく道中は特段なにごともなく…というわけでもなく、この日は途中で雨が降り出した。まあすぐ止むかな〜とゆるい感じで走り続けていたのだが、雨足は強くなり、一度立ち止まって雨養生をすることになった。今振り返れば、最初から天気予報などを見越して養生しておくべきなのだが、立派な旅の教訓である。結果として濡れたくなかった本などが濡れてしまっていてめっちゃ後悔することとなったのだった。
お昼も食べず、ろくに休憩することもなく走り続けることおよそ6時間。無事?にふもとっパラキャンプ場へとたどり着いた。Googleマップの下道車ルートの1.5倍くらいの時間だろうか。お尻痛いお尻痛いとすでに洗礼を受けつつも受付を済ませてふもとっぱらへ入場。平日で天気も微妙なこともあってかかなり空いていた気がする。目の前に広がる広大な敷地の中から場所を決めて、「ここをキャンプ地とする!」と独りごちながらテントをサクッと設営した。このテントめっちゃ楽。5分もあれば完成するお家に感動を覚えつつ一息つく。
想定していたよりも早めに着いたので、あれ?結構時間余る…とか思いつつ、
「そういえばコンビニにも寄らずに来ちゃった!カレー麺がねえ!」
と気がついて、一度設営を終わらせた後、近くにあるコンビニへと急いだ。カップヌードルBIGカレー味を単品で購入し(ついでにジャンプの最新号を立ち読みし)、キャンプ地へと戻る。昼飯も食べていなかったのでもう作っちゃえ〜!とイワタニのバーナーでお湯を沸かして(この旅ではめちゃくちゃお世話になりました。大好きです)、「Hey!Siri!3分間待ってやる!命乞いをしろ!」とラピュタ王の真似をしながら待つこと3分。お待ちかねのカレーヌードルをずるずるといただきました。
「ご馳走様でした」とスープを飲み干した後に手を合わせ、洗い物をするために立ち上がる。
すると半ば諦めていたのだが幸運なことに富士山のご尊顔がちらりと垣間見ることができた。
晴れたらさぞかし綺麗なのだろうけれど、見えなくても確かにそこに在るのだから、それだけでいいのかもしれないとも思った。見えないからこそ楽しむのが通なのだ。日本人の美意識的に言えば「幽玄」を感じるというか。まあ俺は俗っぽい人間なので目に見えた方がいいけど。
ソロキャンプって何をすればいいんだ?と、なんか暇を感じてしまったのだけど、そう言えばこの日がソロキャンプのデビュー戦だったのを思い出す。キャンプ場管理人を2年以上やっていたのにも関わらず、他所のキャンプ場でソロキャンというのは初めてだった。焚き火は面倒臭い(後片付けやら準備やら、そもそも焚き火自体が贅沢ながら少し飽きていた)し、メシも食べてしまったし、ある程度周辺も散歩してしまった。ということでりんちゃん(ゆるキャンの登場人物)を思い出して読書をした。藤原信也の『印度放浪』。今回はこんな風にゆったりとした旅にはならないなと思いながら数年前に行ったインドに思いを馳せつつ、暗くなっていくのをゆっくりと待つ。暗くなると全然やることもないので、S NSを弄り、Googleマップを見ながら明日の行き先を考える。
今日は案外余裕だったから頑張ってみちゃおうかと思い、愛知の常滑にある友人の元を訪れることにした。おおよそ300kmなので倍近くだから、今思うと安直すぎた。だって6時間の倍って…冷静に考えると流石にしんどい。しかしこのときの僕は旅でテンションがハイになっていたせいか、全然イケると考えていた。途中の掛川でも友達とランチをする約束をして、早めに眠りにつくことに。やることないし。多分9時くらいには寝てしまった。降り出した雨をBGMに。
こうして旅の1日目は余裕を持って終わることとなった。
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