最も高貴な娯楽は、
理解する喜びである。
名言と解釈のコーナー2回目です!
今回は世界一有名な美女ことモナリザを描いた天才。レオナルド・ダ・ヴィンチ。
この人は本当に様々な分野において実績を残していて、絵画だけでなく数学や幾何学、解剖学、工学、科学、物理などなど数知れず。
ヘリコプターの設計図や、宗教画の最後の晩餐なんかもめちゃくちゃ有名ですね。
彼こそヨーロッパルネサンス期を代表する多面的な才能を持つ人間、普遍人 です。
マジでカッコいい……!
ちっちゃいころからこういう天才にあこがれてました(笑)
僕が幅広い知識を求めてるのは、この人へのあこがれでもあります。
なぜ彼は普遍人に成れたのか。それは冒頭の言葉に端的に表れていると思います。
理解することは最も高貴な娯楽。
理解することを誰よりも楽しみ、誇りとしていた。
僕もそんな風に生きていきます!(誓いの言葉)
では名言を
私は決して障害に屈しはしない。
いかなる障害も、
私の中に強い決意を生み出すまでだ。
周りから突出した人がたたかれるのは、どの時代でも同じです。批判したがる人はどこにでもいます。
それに加え、自分自身の作品に対しても決して満足しなかったのです。
当時の宗教画は自分の意図だけで描けなかったこともあるでしょう。
そんな中でも障害に屈するのではなく、成長の糧にし、決意を強くした。めっちゃカッコいいですね。
こんな言葉も残しています。
大いなる苦悩なくしては、
如何なる完成せる才能もあり得ない。
彼は間違いなく天才です。でもそこには大いなる苦悩があったんですね。
成功しているどんな人にだって、いつでも順風満帆な人生というわけではありません。
間違いなく色々な苦労を重ねています。
表面だけでなくそういったところに目をむけていきたいですね。
芸術に決して完成ということはない。
途中で見切りをつけたものがあるだけだ。
レオナルドは完璧主義者でした。一つの作品に時間をかけて満足するまでは公開せず、公開した後も手を加えて、探求し続けました。
ある意味では人間の限界というのをそこに見たのかもしれません。
そんな彼が完成したものとは何かと問われれば、
それは自然であると答えたと思います。
こんな言葉も残しているからです。
理解するための最良の手段は、
自然の無限の作品を
たっぷり鑑賞することだ。
自然。それは最も合理的に進化してきたもので、その機能には無駄がありません。
ブッダも人間の欲求を消して、自然の法則と一体になることを悟りの境地、無としました。
もちろん人間も自然の産物です。でも不合理な部分が非常に多い。そこに人間らしさを感じるし、しかも自然淘汰の結果として繁栄しているのは人間でもあります。
でも今こそ自然から学ぶべきことは本当にたくさんあるのではないかなとひしひしと感じています。
こうも言っています。
シンプルさは
究極の洗練である
スティーブジョブズとかの考えに似てますねー!
無駄をそぎ落としたシンプルなものが究極の洗練。合理的で美しいものだと。
それは、自然原則だったのではないかなーと思いますね。
あらゆるものの部分は
それ自身のうちに全体の性質を保っている。
あらゆるものは、
他のあらゆるものと関連する。
レオナルド・ダ・ヴィンチには禅的な思想がかなり多い感じがします。
しかもそれは、自身の経験や科学的な観測、数学などの多様な思考の中で生まれたものです。
人の行きつくところ、真理みたいなものは同じなのかなーと感じてしまう。
失われうるものを富と呼んではならない。
徳こそ本当のわれわれの財産で、
それを所有する人の本当の褒美なのである。
彼は経済的には貧しかった。しかし、誰よりも裕福だったと思います。
今でも残り続けている数々の作品や考え方、知識は失われていません。
やはり本当の財産は物とかではない気がします。
充実した一日が
幸せな眠りをもたらすように、
充実した一生は
幸福な死をもたらす。
充実した毎日を生きることが、充実した一生を、充実した死をもたらします。
そういった日々を積み重ねていきたいですねー!!
以上で終わります。読んでいただき誠に感謝です!
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