はじめに
皆さんは安楽死についてどう考えますか?
考えたことのなかった人や、病気などで死を意識したり、つらいことがあって自殺などを考えたことがある人など様々だと思います。
今回の記事は「安楽死」についてのインタビュー記事です。
安楽死について長く取材してきたジャーナリストの宮下洋一さんにお話を伺いました。
お話を聞く中で僕自身にも大きく価値観の変化もありましたし、皆さんにも新しい視点を提供できる内容だと思います。一緒に考えていけたらうれしいです。
よろしくお願いいたします。
本題の前に
本題に入る前にまずは安楽死について定義しておきましょう。
※今回の「安楽死」の定義については今回インタビューさせていただいた宮下さんの著書『安楽死を遂げるまで』から引用させていただきます
安楽死の定義:(患者本人の自発的意思に基づく要求で)意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為。
また、安楽死は下の4つにおおきく分類されます。
⑴積極的安楽死:医師が薬物を投与し、患者を死に至らしめる行為
⑵自殺ほう助:医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為。
⑶消極的安楽死 :延命治療の手控え、または中止の行為。
⑷セデーション(終末期鎮静):終末期の患者に投与した緩和ケア用の薬物が、結果的に生命を短縮する行為。
※今回の話で出る安楽死は主に⑴か⑵を指します
インタビュイーの紹介
安楽死について取材を始めたきっかけ
今回、忙しい中で無名の僕らの取材に快く答えてくださった宮下洋一さん。非常に取材経験も豊富で、まさにプロフェッショナルであるにもかかわらず、僕らド素人が取材などして大丈夫だろうかという不安もあったが、特に気分を害した様子もなく、インタビューを受けていただいた。
海外の事件や社会問題から、政治、経済、スポーツまで幅広く取材をしている宮下さんだが、安楽死に興味を持って取材を始めた最初のきっかけは当時のパートナーだったスペイン人の女性だと言う。
「私がもし末期がんなら、ためらわずに安楽死をしたい。それが私の尊厳ある死だから。」と真顔で言い、その後、「あなたはどうしたい?」と訊かれ、すぐには答えられなかったという宮下さん。
皆さんなら何と答えるだろう。僕個人としては、このインタビューを始めた当初、割と安楽死に賛成だった。
2016年当時は日本では表面化することはほとんどなかったが、欧米を中心に安楽死の是非をめぐって議論が活発化していた。
そこで実際に数多くの安楽死の現場で死を見届けていき、様々な価値観の変遷があったと言う。
実際に死を間近に感じた時、本当に苦しい時、どう感じるのだろう。僕たちも真剣に考えて、自分や周りの死について目をそらさずにいたい。
印象的な安楽死について
取材を通して様々な方の安楽死に立ち会われてきた宮下さんにとって、最も印象的だった「死」とは何だったのか。
それは最初に立ち会ったイギリス人のおばあちゃんの死だそう。
宮下さんが彼女と会ったのは、彼女が安楽死をする前日。取材をしている時、普通に笑顔も見せ、まだまだ元気で生きられるように感じたそうだ。
ではなぜ彼女は死を選ぶのか。そこには彼女なりの哲学があった。
「今まで本当に幸せな人生を生きてきたから。病気になって、これからは下っていくだけの人生になるなら、自ら死を選ぶ。」
その言葉を聞いても、宮下さんの胸には葛藤があったという。
「普通なら死ぬことを止めて、生きるよう説得するだろう。でも、止めたことによって後悔を残してしまうかもしれない。自分の死に誇りをもって幸せだと感じてる笑顔も見せていたのだから。」
ジャーナリストとしての性もあるのだろう。止めることはなくありのままに取材するということ。
それでも、その翌朝に挨拶をするとき、ためらったようだ。
「Good morningと言っていいのか。本当にGoodなのか。」
でも彼女は笑顔でGood morningと言い、病室に行った。そして、苦しまないで20秒ほどで死に至れる点滴を付けた。自分でストッパーを外すと薬が流れて死ぬという仕組みだ。
彼女の意志でストッパーを外し、20秒後、帰らぬ人となった。
それをただ存在しないかとのように見届けたのだ。
僕はこんな場面を想像したことはなかった。自分の意志で死ぬ人をただ見守る。僕なら、皆さんならどうするだろうか。
国による死生観の違い
現在、安楽死が認められている国は、スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・アメリカ(一部)・カナダ・オーストラリア(一部)・コロンビアの8か国。
認められている国、認められていない国。その違いは、文化的背景や宗教、経済的発展も深く影響しているようだ。
例えば宗教で言えば、キリスト教の中でもカトリックとプロテスタントで大きく考え方が違うそう。カトリック主体の国では禁止、プロテスタント主体の国では認められる傾向が強いという。
また、大きく異なるのが経済的発展度合い。
安楽死について議論が起こるのは主に先進国なのだそうだ。それはなぜなのか、宮下さんによれば、家族との距離が関係あるとのこと。
病気で死ぬときに家族がサポートし、死が身近にある、病気になれば死んでいくのが当たり前である発展途上国ではそもそも安楽死という発想が薄いそう。
それに対して先進国では、医療が目覚ましく発展し、何でも治るという思い込みすらあるなかで、医療費の増加やそれに伴う延命治療、介護などの様々な歪みがでてきている。また、社会構造として少子高齢化や核家族化などもある。
そこで個人の死ぬ権利が求められてきているのだ。
実際に宮下さんが取材を行う中で、安楽死をする人の特徴として、4つのWがあると教えられたという。
⑴White(白人)
⑵Well educated(高学歴)
⑶Welthy(裕福)
⑷Warried(心配性)
そんな傾向はあっても、国ごとの違いよりも、一人ひとりの価値観の違いで本当に千差万別だと感じているそうだ。
確かに、日本人だからと言って賛成派や反対派もいる。どんな国の人だって、それぞれの生まれ育った環境や価値観は違うし、誰一人として同じ人間はいないのだ。
僕たちもそんな「日本人」「先進国病」などという括りに縛られず、自分の意志で死に向き合うべきなんだろう。
日本での安楽死について
今年に宮下さんが出された本で、『安楽死を遂げた日本人』がある。
これは、実際に日本人として初の安楽死を遂げたある女性に密着したドキュメントだ。NHKスペシャルでも特集されて話題を呼んだ。
現状日本では、安楽死の制度はない。日本人が安楽死を遂げようと思ったら、本当に大変なハードルを越えなくてはならないのだという。
「やはり一つは言語の問題。現地で意思表明をしなくてはならないし、処方箋や診断書も英語のものを用意しなくてはならないから。そして手続きの煩雑さと距離。末期がんの患者が書類などの準備も含め手続きが間に合わないケースもあるし、飛行機に乗ってる途中で体調を崩すかもしれない。日本人にとっては安楽死のハードルが高いのが現状です。」
そんな日本での安楽死制度導入について、宮下さんの意見を聞いた。
「僕は、あいつは安楽死反対派だ!とよく叩かれるんですけど」と苦笑しながらも話してくれた。
実際に今すぐに日本で導入するの難しいのではないかという。理由を尋ねると、そこには長い海外経験と、安楽死の取材で感じてきたたくさんのものがあった。
まず安楽死制度そのものの是非。これは一つの事例をあげて説明してくれた。
制度があることによって、治る可能性がつぶされてしまうケースが起こりうるかもしれないのだ。診断書をだす医師の価値観や感じ方
も大きく異なり、導かれる方向に変化が出てしまうこともありうる。
実際に自分では安楽死を望んでいた患者が、医師に認められず治療をして回復まで至ったことがあったようで、その方に取材をし、
「あのとき安楽死をしないで本当に良かった。」
この言葉を聞いて、安楽死の弊害を考えたと言う。この女性がもし、あのとき安楽死を認められていたらその取材もなかっただろうし、20年近くも前に亡くなっていたのだ。
確かに安楽死の基準と言っても、明確な指標があるわけではないのが現状なようだ。余命の判断や回復の見込みなどは実際に治療しないとわからない場合も多い。
また、日本独自の問題もあるという。
それは海外経験の長い宮下さんだからこそ強く感じることのようだ。
【同調圧力】
日本人は自分の意志ではなく、周りの空気を読んで意思決定をしてしまう傾向があるのは明らかだという。確かに、それは普段の生活でも感じることではあるし、海外の人からは本当によく言われる。
そんな日本の空気感が安楽死に関してどういった影響があるのか。
自分で決めたと思っても、周りに決めさせられていたということが起こりえるのだ。
例えば、
「医療費や介護で家族に迷惑をかけたくない。」
また逆に医師の立場からしても、様々な圧力(患者、社会、病院の受け入れ等)から法制度があるから問題ないと、自殺をほう助するようなことも起こるかもしれない。
本質的には、本当は生きたいのに、生きているだけで迷惑になってしまうような社会の構造こそが問題だと宮下さんは語る。
それを聞いて本当にそうだと思った。本来の意図とずれて、逃げの安楽死になってしまう可能性がある。そんな風に考えたことはなかった。
「安楽死制度もパッと突然沸いたわけじゃない。欧米などでは長い年月をかけて、土壌がしっかりと整って法制化されたんです。だから日本が表面だけ導入しても歪みが生じてしまう可能性が高い。」
そう語る宮下さんの意見に深くうなずいた。今の日本の法律はそんなものが多い気がする。戦後に制度だけ真似たものばかり。でもそんな話は今日はしないでおこう。
自殺と安楽死
日本は、若者の死因第一位が自殺だそうだ。
僕も自殺を考えたことはある。でも怖くてできなかった。正直に言って、死ぬというのはすごく怖い。安楽死だってまだ想像できない。
宮下さんは数多く安楽死を見てきた中で、自殺との関係性も感じることがあったようだ。
ベルギーで自殺をした女性がいた。その方は小さいころから何度も自殺未遂を繰り返し、最後には精神病棟で首を切って自殺。当時ベルギーでは精神疾患の患者が安楽死をすることは認められていなかった。
その遺族の方々に宮下さんは取材をし、言われた言葉があったという。
「死にたいというあの子に対して、死ぬのはダメだ!生きるんだ!と言ってしまったことを後悔している。その言葉が彼女を苦しめていたんだ。死ぬのも一つの権利だと言ってあげるべきだった。」
家族が身内の自殺を止めることに後悔するなんて、おかしいと思うかもしれない。止めるのが普通だと。
でも宮下さんが取材した方ではこういう人もいたそうだ。
精神疾患を患い、何度も自殺未遂をして、今でも体にも傷跡が多く残っているという女性。彼女は診断書や手続きも終えて、安楽死を認められてから何年も経っているという。
そう。死ぬことを認められていながら生きている女性なのだ。
「まだ死ななくてもいい。いつでも好きな時に死ねるから。」
いつでも死ねるからもう少し生きてもいい。
安楽死が自殺の抑止力となったのだ。
宮下さんは「禁止は逆効果なのかもしれない」と語る。
確かに、ダメと言われたものほど人は意識し、罪悪感と共に興味も感じるものなのだろう。「もしかすると安楽死を導入することで日本の自殺は減るかもしれない。それが唯一のメリットですかね」そう呟いているのが印象的だった。
人は終わりを意識することで、中身を良くしようと思うのだろう。
僕らにも「死」は必ず訪れるから、リミットを認識して今という生を、より善いものにしていきたいと強く感じた。
さいごに
ここまでで約1時間の間、宮下さんにはお時間を頂いた。今はたまたま日本に戻ってきているタイミングだという。本当に感謝の思いは尽きないのと共に、そろそろ取材も終えなくてはならないのが口惜しい。
でも本当にたくさんのことを考えさせられた。また、新しい視点も非常に多くいただいた。貴重で有意義な時間だった。
最後に安楽死について、宮下さんの取材の集大成を訊いてしまった。結果として宮下さん自身は安楽死をしたいのか、どう感じているのか。
安楽死に答えはあるか
もう3年ほど安楽死について取材をしてきて、自分が安楽死を選ぶのかどうか。宮下さんの口から出たのは、
「わからない。」
正直少しがっかりしてしまった。でももちろん続きはあった。
「今は安楽死なんてしないと思っていても、未来はわからない。もし自分が半年後に末期がんになったとしたら安楽死を選ぶかもしれない。長く取材を重ねても分かったようなことを言うつもりはないし、答えはわからない。」
「ただ、一つ言えるのは死は周りや社会が決めることではない。自分の意志で決めることで、人それぞれ自分の最後を選ぶことが答えです。」
そして、この安楽死というテーマについて、「ずっと追い続けていき、事実を伝えていきたい」と語る宮下さんは本物のジャーナリストだと思った。
この先、5年後、10年後に振り返って、今の安楽死はどう言われているかわからない。まだ実験段階で、これからも議論していくものだと宮下さんは言う。
僕らが自分の人生を考えるうえで、「死」というのは避けては通れない。誰にでも必ず来る終わり。
だからこそ、僕たち一人ひとりがこれからも考えていかなくてはいけないものだと思う。向き合って、より善い生き方を見つけるために。
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