狭間を彷徨う。夢と現。生と死。光と闇。天国と地獄。天使と悪魔。理性と感覚。有と無。過去と未来。主観と客観。

夜、焚き火を囲んでいた。はずだった。それは突然訪れた。

全てがスローモーションに感じる。輪郭というか境界が全てぼやけて溶けた。今目の前で起きていることが夢なのか現実なのか分からなくなった。コマ送りにされた目に映る世界は全て壮大なデジャブに感じる。全てを完全知っている感覚だ。強烈なノスタルジー。ずっと昔にもこの場面を、音を、声を確かに目の前で見た。流れてくる言葉の一つひとつが強烈なデジャブの感覚を刺激し、過去も未来も現在もごちゃ混ぜになっている。過去も今であり未来も今だった。長いタイムスリップをして今ここに引き戻されたような衝撃。これは夢だ。そうでなければおかしい。理性も本能もそう告げている。

いつの間にか目を閉じていた。いや、半分は開いていたかもしれない。目の前に広がっていたのは万華鏡。回り続けて揺れている。幾何学模様がカラフルに彩られ、目線の中心部を軸として回転し、自分が思い描いた形に具現化した。花であり原子であり量子であり波であり粒であった。頭の奥でドラムのような音が響いている。夢か現実かわからず揺れていた。今思い出せば実際に身体も揺れていたかもしれない。狭間を揺れていた僕の意識は唐突にこれを夢だと考えた。妙に得心がいった。これは全て夢であり現実ではない。理性は屈服して消え去り、その瞬間に僕の体も無くなった。気がつくと僕は黒い球体だった。

僕は転がった。水が高いところから低いところに流れるように自然と暖かい光に吸い寄せられた。真っ暗な僕の世界。僕の目を閉じた中の視界であり、五感を通して立体の座標軸に配置した脳内モデル。その片隅に光があった。白い光に暖かさを感じ、惹かれる。僕は光に向かって転がっていた。飛んで火に入る夏の虫の如く引き寄せられる。抗いようのない諦め。上善は水の如し。暖かさを感じると同時に僕は光に包まれた。全てが光だった。「光あれ」そう聞こえた気がした。

どうやら意識が少し飛んでいたようだ。まだ夢の中だろうか。いや、僕は死んだんだ。そう妙にハッキリと認識していた。あの暖かい光はおそらく焚き火だろう。僕はその中に飛び込んでしまったのかもしれない。ここが死後の世界か。
「とりあえず真理が知りたいな。死んだんだから答え合わせさせてよ。」
そう頭に思い描くと同時だろうか、目の前にはゲームのクリア後画面みたいなのが表示されていた。この空間は僕の好みによってデザインされているようだ。どうやらクリア後のギャラリー特典みたいなのが見られるらしい。背景は異次元というか次元の狭間の流れにいるような、不可思議な波模様。言っちゃなんだがゲロみたいな感じだ。僕はそこで魂というか光の人魂モードになっている。なんだか楽しくなって、「過去の歴史見まくりたい!」とギャラリーを覗いた。

結論。僕の知っていることしかなかった。「それが真理だ」と誰かが言った。僕が人生で体験し体感したことだけが真実。プラグマティズムか。残念さを感じながらも不思議な高揚感に包まれる。この世界で見てきた全てが自分であり全ての人も僕だった。唐突に僕はキリストだった。そう思ってから数秒後、カクテルパーティの中で名前を呼ばれたかのように現実から声が聞こえた気がした。「キリストみたいになってるよ」と笑われていたか気がした。そのとき鮮明なビジョンがよぎる。僕は磔にされた後のキリストだった。キリスト教徒の人に話すのは億劫だが、そう思ってしまったから仕方がない。僕はやはり死んだんだ。死んだ。でも生き返るのかもしれない。「そうなるのだ」心の奥底で誰かが囁いた。肉体的には死んでいないが、魂は一度死ぬのだと。恐ろしいものや全ての罪を背負って、味わって戻ってこられたなら生き返れる。そういう予兆が見えた。自分の築き上げていた砂上の楼閣のアイデンティティがこれから崩れるのだと。そのビジョンは夢のはずだけど、いや夢だからこそなのか、ひどく現実的な質感があった。

意識は再び暗転し、気づけばまたクリア後のゲーム画面にいた。
「愛とはなんですか?」
言葉は返ってこなかった。しかし目の前は白い光と黒い闇が拮抗した勢力争いでもしているようだ。陰陽太極図が縦に長く引き伸ばされて上に向かって流れているような感じだ。多分僕の体も揺れていた。それらはだんだんと混ざり合って、なぜかわからないけど僕はセックスをしていた。白い光の女性と、真っ黒な僕は一つになろうとして揺れ動いている。いつの間にかどちらが僕なのかわからなくなっていた。僕は白い女性になっていた。暖かい感覚と激しい振動。
「これが愛?結局セックスかよ。俺童貞だったけど……まあいっか。」
冷めた声が一瞬響いたが、僕は肉欲に飲み込まれた。女性でも男性でもあって、なんか地獄楽の神仙を思い出した。そしてすぐまた意識は途絶えた。

苦しい。目を開けようとしたけれど、ものすごい重力で引きつけられたように瞼が重い。「現在(今)を生きるしかないんだ」そう聞こえた。
「赤いピルと青いピルどちらを選ぶ?」
モーフィアスかよ。心の声は赤いピルを選べと告げていた。現実、真実を知るためだと。僕が赤いピルを口に含むと目が開いた。

確かに目の前には現実があった。どうやら焚き火の前でぶっ倒れて気を失い、自分の部屋に運ばれていたらしい。心配した仲間たちが見守ってくれていたようだ。ありがたさと同時に恐ろしい感情が込み上げてくる。いやだ。現実なわけない。こんな恥ずかしい姿を見られてるなんて。暴れていたに違いない。心配を、迷惑をかけたに違いない。恥ずかしい。死にたい。戻りたくない。このまま消えたい。苦しい。息ができない。現実であるはずがない。死んだんだ。僕は死んだんだ。
そこまでだった。僕は赤いピルを吐き出していた。現実だと信じたくなかった。マトリックスの中に留まりたかった。ごめんモーフィアス、僕はネオじゃない。本当はわかっていた。体は息をしようと必死に悶えていた。体の感覚は確かに存在していた。
「夢だと思っていたことが現実だった?どこまでが、何が現実で何が夢なのか?側から見た僕の姿はどんなものに映っていただろう?」
僕はパニックだった。恐怖がざわり心臓を撫でる。体は石化したように強張っていた。息は相変わらず苦しい。負に飲み込まれて必死に暴れた。石になってしまった体から這い出そうとしてもがいた。鼻がつまって息ができない。胸がズキズキと痛くて、抉り出そうと思った。掻きむしりたかった。いろんな手に押さえ付けられて、そこから抜け出そうとした。一瞬のビジョン。僕は焚き火の前に戻っていた。そこで倒れて起き上がると、顔は硫酸で溶けていた。僕の意識は飛んだ。

暴れたのが夢の中だけなのかわからない。いや体の感覚は確かに現実だった。きっと現実でも暴れていたに違いない。とんでもない罪を重ねていく気分だ。理性の声は、激しく叫ぶ嘘だ!!!夢に決まっている!現実なわけがない!という心の声にかき消される。理性は屈した。理性も嘘であってほしいと願っていた。今まで積み上げてきた自分の信用や、築き上げてきたキャラクター、こう在ろうとしていた自己像が全て殺された。現実はあまりにも辛い。最悪の気分に飲まれる。磔にされて死んだのと同じような気分だ。いやむしろ死なせてくれた方がよかった。ああ、ジーザスクライスト。僕は暗がりに沈み込んだ。

次に意識が戻ったのは現実だった。確かに現実だ。スマホを恐る恐る覗くと朝の4時。ちゃっかりアラームがセットされている。トイレに行き水を一杯飲むと、おぞましい光景がフラッシュバックしてくる。僕は一体どうなっていたのか。あの死の狭間にいた間も現実は容赦なく時を刻んでいたようだ。夢じゃなかった?どこまでが現実と夢の境目なのか?周りからどう見えていたのか?死んだんじゃなかったのか?思い出すと負の感情に支配されて死にたくなってくる。現実なんかに戻りたくなかった。また胸が苦しくなり、呼吸が荒くなる。違う世界線に行きたい。現実を生きたくない。死なせてくれ。起こさないでくれ。起きたくない。顔を合わせられない。すぐに寝床に向かって布団にくるまった。誰にも見られたくなかった。まちがいなく現実を突きつけられている。死んだと思ってたのに。やっと楽になれると思ってたのに。嫌で嫌で仕方がない。眠りたかった。ひたすらに眠りたかった。この苦しみから逃れたかった。恐ろしさに身を悶えて震えながら体を丸めた。

ああ、思い返すとずっとそう願って生きてきた。寝ている間が幸せな唯一の時間。朝は憂鬱で、生きることは苦痛だった。起きることが義務だなんておかしいと思いながらも、ちゃんとしなくてはいけないと奮い立たせて起きていた。思い返す限り、寝起きが気持ちの良い朝だった試しは人生で一度たりともなかった。学校や仕事や何もかも嫌いだった。現実が嫌いだった。今日だって自治体の清掃やお客さん対応やイベント対応、DIYの手伝いとかやらなくてはいけないことが山積しているはずだ。でもどうしても無理だ。頭が痛くて、考えたくなくて、人が怖くて、眠りたくて。頭では起きなくてはいけないとわかっていた。苦しいけどだめだ。休むことは許されない。許せない。いつもやってることじゃないか。奮い立たせて立ちあがろうと一瞬思い、怠さと共に立ち上がった。やはり無理だった。すぐにもう一枚の布団を手にとってその中に潜り込む。「体調不良だから仕方がない」僕は逃げた。胸の苦しさや熱っぽさを言い訳にした。だから青いピルを飲んでしまった。

その日は何もできなかった。ひたすらに布団に篭った。人の声が聞こえてくる。誰かが戸を開けて様子を見ている。夢なのか現実なのか。それはもう明らかだったけれど、僕は眠りというものに体を預けた。「報われてもいい。頑張ってきた。もう眠っていい。楽になっていい。」天使か悪魔かわからない囁きに委ねた。どうせ一度死んだんだ。このまま死んでいよう。生きるなんて死ぬよりも辛い。一切皆苦。死んだ方がマシだ。本当に死のうと思い、どうすれば死ねるのか真剣に考えた。包丁を自分の胸に突き刺したかった。飛び降りたかった。電車に轢かれたかった。それかこのまま入院して意識不明になりたかった。休みたかったんだ。確かに最近は寝不足というか、寝れている気がしなかった。自律神経も壊れていた。楽にしてくれ。起きている間は相変わらず胸が詰まって、息が苦しかった。
「現実を、今を直視して生きるしかない。これ以上の罪を重ねるな。」
わかってる!だけど、無理だ。無理。嫌だ。このまま心の病気だと言い張って現実から逃げよう。誰にも見つからないようになんとかして本当に死のう。ああ死にたい。このまま一生寝ていたい。そんな意識の繰り返しだった。苦しみの因果に飲み込まれた。輪廻から抜け出したい。解脱したい。ここは地獄だ。僕の生は死んでいるのと同じに感じる。キリストだって死んでから復活まで3日かかったはずだし、それくらい休んでもいいさ。そんな風に夢と現を行ったり来たりしていると、残酷にも時は進んでいた。結局、清掃もイベントもお客さんもDIYもほっぽり出して僕は引きこもった。意識を何度か取り戻してスマホで時間を見ていたけど、連絡なんかは怖すぎて見れなかった。喧騒は静まって時間は夜になっていた。

理性が告げる。まず整理しろ。事実として認識していること、自分の主観、他の人からどう見えていたのか。真実を知り受け入れよう。被害妄想をやめろ。介抱してくれたみんなは心配しているだけだ。そして、信じよう。何をやらかしていたとしてもきっと許してくれる。
「俺が俺を許せない。無理だ。みんなが気にしていなかったとしても俺が気にする。無理だ。顔向けなんてできない。嫌だ。死んだ方がマシだ。死にたい。」
理性を遮って溢れ出てくる言葉たち。それを受け流して理性は続ける。
今まで築いてきたこれが自分だという虚構、勝手な自画像が崩壊しただけの話だ。それは、古い自分の殻から抜け出して、思い込みから解き放たれることだ。もっと自由に生きられる。生まれ変わりだよ。復活であり、蛹から蝶に変わる時だ。お前はラッキーなやつだ。このまま本当に死ぬやつだって五万といるんだから。
「自分を許し、愛せ。人を信じろ。」
「俺には愛なんて綺麗な感情はない!持っていない!俺は醜い汚染物質だ。愛する資格も愛される資格もない。幸せになんかなれない。人を傷つけて、壊して、迷惑をかけて、不幸にする存在だ!」
「その思い込みを壊すんだ。いや、もうすでに壊れたんだよ。その虚構が限界だってことさ。今回起きたのはそういうことなんだ。」

どんな罪を犯しても、どれだけこんな自分は嫌だと思っても、起きてしまったことは変えられない。それに冷静に見れば、確かに迷惑をかけたけど、そこまで大したことじゃない。気分は大罪を犯した極悪人だけど、客観的に見れば、酔い潰れてぶっ倒れたのと大差はない、といいな。そう、起きた事実を知り受け入れるんだ。それを認めるんだ。たとえ自分がどんな行動をしていたとしても、そんな自分を受け入れて愛するしかない。現実は、真理は、真実は「今」「この瞬間」にしかない。しっかり味わえ。生きるんだ。俺にはそれができる。一瞬一瞬の選択だ。そろそろ生き返れ。新聞配達に遅れるぞ。

起き上がるのには勇気が必要だった。布団から這い出すのは億劫で、強い魔力を秘めている。起こってしまったこと、やってしまったことはどんなことであれ受け入れるしかない。覚悟を決める。呼吸はまだ苦しいし、胸は締め付けられて、今にも夢に戻そうとしている。戸の隙間からは灯りが漏れ、リビングの方で話し声が聞こえる。結局は現実を生きるしかない。この部屋を出て一歩、踏み出さなくてはいけない。生きる。自分を受け入れて愛する。人を信じる。昨日までの僕は死んだ。赤いピルをしっかり飲み込み、僕は部屋をでた。

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