俺が明日死ぬとしたら

うまいもんでも食って、腹抱えて笑って、生きてて良かったって心から涙流して。そんな当たり前のことよりも、必死こいて足掻いて書いて、俺の人生を吐き出したい。

完成なんてないと思っていた人生の、完成である死。目の前に来て初めて俺の生が儚いものだと知る。

俺はこの生で花を咲かせられただろうか?

そんな問いにいまだに即答できない自分に少し嫌気が差す。でもこの文章を書いているのは、タネを残したいから。誰かの記憶に、心に、俺という存在を花なのか実なのか、茎なのか根なのかもわからないけど、DNAとして保存しておきたいと願った。

きれいか、汚いかなんてのは俺は知らない。迷惑だろうが関係ない。それは受け取る人が決めてくれていい。俺はただ、あるがまま、書きたいままにここに字を残していきたいのだ。「書くこと」それ自体が俺の目的なんだ。

人生に思った以上に満足している。思っていた以上に後悔もない。やりたかったことはたくさんあるけど、どこで終わったとしてもきっとそんなものは無限にあるし、俺の生きてきた今までが恵まれていたという俺の考えに変わりはない。

そんなことを自慢したいわけじゃない。ただ、どんなことも俺にとってかけがえのない、必要なものだったんだということ、

誰かに生まれ変わったり、異世界に転生したり、そんなことは望まない。

いや、ちょっとくらいは興味あるけど。

実際、この世に生まれて、意識なんてものを持てて、ここまで生きてこれただけでも十分にラッキーだ。友達、仲間、家族に出会えてそれだけでハッピーでうれぴーことだ。強がりじゃなくただの事実。俺の中に生じた感情だ。

もう死ぬんだから今更取り繕うこともない。これまでの文章は、結構気取って書いているけど、それは見てくれを多少は気にしていたから。なんかそんなことはどうでも良くなってきた。まあでも、どうせ残るなら俺の言葉が呪いになって欲しくない。少しでも希望、いやしっくりこない。きれいな言葉すぎる。なんというかちょっとでも料理がおいしくなるような塩っけを足すくらいの隠し調味料になってほしいという感じだ。

今まで出会えた全てのものに感謝。

なんてできるほど、この文章のなかで俺は深いところに入っていない。ただ、個人的な気持ち、俺のエゴで書いている。感謝したい気持ちはあるけどそこに気が向いていない感じだ。薄っぺらに感謝を述べるなんてのはいやだし、気が向いたら書く。

ふざけたい。

最後だからこそ、真面目ぶらずにふざけたい。というか割と基本的にはふざけていたい人間だ。もちろん、冒頭の文章みたいに気取った感じで、堅苦しい詩的な表現っぽく格好つけたい時もある。いかした哲学者の言葉を引用して、ドヤ顔をしたい。知的だね!と思われたい。でも最後だし、別にどうでも良い。

ただ、自分の文章に責任は持ちたい。否定されたら傷つくけど、傷つかないようにうわべだけを掬ったようなものを残すくらいなら書かない方がマシだ。知的だとか言われたら嬉しいし、泣いて喜ぶけど。

文章を書くのは嫌いじゃない。自分をさらけ出せる媒体として、表現の場として俺の中ではトップクラスに好きだ。それは直接曝け出すのがとてもとても怖いからなのだけど。

人と話すときにはどうしてもいい子ちゃんぶっちゃうし、格好つけちゃうし、真面目ぶっちゃうし、取り繕ってしまいがちだ。

その分、文章にすると、自分を出すハードルはとても低い。わんわん泣きながら書いたって、ニヤニヤしてたって、そんなことは気にせずに書ける。

まあ、だからと言ってこの文章に自信や誇りを持てているか聞かれたらどうだろう。誰かの心に響くか、とかは正直微妙かもしれない。

この世にはもっと美しく、洗練された文章も、心に響く言葉も、無限大に広がっている。

上には上。下には下。横には横。斜め上には斜め上がいるだろう。

今書いているのはただの等身大の文章だ。優れているとか劣っているとか、見る人によるだろう。勝手に決めてくれ。俺は最低限俺が好きだと言える文章が書ければ満足なんだ。

そんな偉そうなことを吐かしても、この文章が好きだ!と心から言えるかといえばソワソワしてしまう。目の前で朗読なんかされた日には、正直言って想像しただけで身の毛もよだつ。

こんなのは明日死ねるから書けるのかもしれない。そう考えると死ぬのは悪くない。というか死ぬのが悪いなんてのも決めつけだけど。

死ぬのが明日だったら、意思決定はすごく楽だ。長期的な視野なんていらない。先のことなんか誰にもわからない。わからないからこそリスクヘッジで安全、無難とされている選択肢を選びやすくなる。不確実性に耐えられるように温存する。

死という期限が決まっていたら、後先考えず気が楽だ。こんな恥ずかしい等身大の文章だって書ける。

そんなこと言っていたけど、書くのが面倒になってきた。何を書いたらいいんだ。まあ書きたいようにテキトーに。テキトーに書くのは楽しい。感性に任せて自動操縦する感じだ。思いつくままに、手の赴くままに。

今振り返れば人生も遊びだ。楽しむのが一番だ。俺は過剰に怖がっていたな。

失敗を。否定を。拒否を。敗北を。

失敗してボロを出したら終わりだと思っていた。なるべく型に嵌まるように生きてきた。

否定されたら立ち直れないから、否定されてもいいことだけを言葉にしていた。

拒否されるくらいなら、最初から何も言わず、受け身になることにした。

全力を出して敗北したら死にたくなるから手を抜いておこう。

そうやって先に言い訳を貼り付けて、妥協をして、自己否定のまとわりついた上辺を吐き出して過ごしていた。

でも案外、人はそんなことじゃ死なないし、終わらないもんだ。傷つくしめんどくさいけど、マリオとおんなじで残機はある。次は同じ穴に落ちないように、敵やギミックを避けられるように。そうやって何回も繰り返してやっと旗をピューっと降りられる。

死に過ぎて残機がゼロになったって、最初からやり直せばいい。というか、プレイするゲームをマリオ以外にしたって構わない。もっと楽しいゲームをしようぜ。

人生も割と大体そんなもんじゃあないかな。とにかく、苦手なマリオなんかカセットをひき抜いて、ドラクエでもやろう。

うーん、なんか話がよくわからない。やはり書きたいままに書くというのは何とも言えないものになってしまうのだろうか。この世に残したいものはマリオの話だったのか。書いてもまとまるどころか、最近感じていたことを書いているただのエッセイになっている。

結論だけ言うと、みんなありがとう。

みたいなことなんだろうな。一言だけ言いたいこと言えるとしたら。

あーまた書くのがだるくなってきたぞ^^

これは深淵の自分に近づきつつあるのかも。無意識がストップ!と叫んでいる。そう言われるともっと突き進みたくなるよね。どうせ死ぬんだし。かつおだし。

心の傷。無数の黒い歴史。悪い癖。シナプス。洞窟の中のドラゴン。シャドー。胸にある痛み。肩や目にのしかかる重み。凝り固まった筋肉。滞った血流。酸素が行き渡らない体。思い込み。盲点。闇。もつれた糸。

それはいつも否定してくる自分。

「だから言っただろう。また失敗して。情けない。周りに迷惑をかけて。お前には何の価値もない。役に立たない。クズだ。汚らしい。気持ち悪い。」

そうやって自分をどんどん追い詰めて、弱くして、怖がりにして、閉じ込めて。

今言いたいのは、

うっせえ!うっせえ!うっせえわ!

いじめられっ子のふりをしていたけど、いじめに拍車をかけていたのは他ならぬ自分だ。守るために、傷つかないように、自分を傷つけまくる矛盾。

許すことが強さだと、そんないじめる自分も許そうとして、その自分が傷つけている自分を許せない矛盾。

もうええわ。めんどくさい。どうでも良い。

と言うことで今回は書いています。ふざけて、楽しんで、思考を挟まずにニヤニヤしながら、直感的に紡いでみたい。

子供の頃の感覚というのだろうか、遊んで、ふざけて笑っているときの感じ。大人になってから、ふとそんな感覚から遠ざかって、頭で考えて考えて考えて…めんどくさくなって眠たくなる。

ただ、感じたい。純粋に。ドントシンク。フィール!

思考や不純なものを含まない、純度の高い、濁りのない感情。そんな純度で暖かい何かを感じられたなら、それは、幸せという言葉でレッテルを貼る必要もなく、逆に名前をつけようとしたら失ってしまう類のものなんじゃないか。仏教で言うとニルヴァーナ的な。それも名前だし、伝わらないだろう。感覚を文章で伝えることはできない。どんな文章でも俺が感じているそのままを届けることはできない。

理性では捉え切れないけど、そこに強みを持ったサピエンスさんは、なかなか難しい。理性が発達しすぎるのも困り物だな、やはり。

今の俺の感情はそんな純粋なものではない。とにかこの胸の清濁合わせてそのまんま形にしておきたい。それだけ。でもそれがなかなかに困難だ。散々疲れたとか眠いとか浮かんでくるし、胸が苦しいし。考えずにただ吐き出す。

そんなことは誰でも赤ん坊の頃はやっていただろうけど、それを言葉にするってのはなんかよくわからない。未完成で不完全なものにしかならないだろう。俺の全てを曝け出すなんてのは不可能だ。完璧に満足できるとは到底思えない。でもこの過程に意味がある。結果なんかどうでもいいし、終わりもないし、死ぬだけだし、今できる限りをするのは楽しいことだ。

とか言ったところで時々筆は止まる。今もそうだ。と言う言葉を書いている。なんかパラドックスを感じる。そもそもこの、文章という行為が思考の権化な気はしている。言葉を生み出した、知恵のみを食べた人間は、エデンの園から追放されてしまったのだ。

そこすら超越できるのだろうか。統合して、理性と感性が融け合って、一つのものとして形にすることができるのだろうか。

それは何というか、人間として、神も見返せるような気がする。それはとっても魅力的でワクワクするテーマだ。

この文章がそんな高尚ですごそうなものであるかはさておき、そこを目指してテキトーにキーボードを叩いているわけだが、あとで読み返したらきっと絶望するだろうな。

そして、何がしっくりこないのかを考えるだろう。考えまくった後に、また何も考えなしに書き殴る。そんなことを通してだんだんと、その境地にはたどり着けるもんなのだと思う。冷静になると実際そんなものがこの世に存在するのか、誰が決めるのかもよくわからないし、それこそ神でもなければ評価できない。

というわけで、そんなことは考えるだけ時間の無駄だ。でも楽しいからやっぱり無駄じゃない。俺にとっては意味のある行為だった。そんなもん。世の中大体そんなもんだろう。

正解も不正解も、前も悪も、人間の尺度だし、この世の全てを統べる真理さんからしたらどうでもいい些事にすぎない。

話は変わるけど、『神との対話』という本を唐突に思い出した。あれは感性のままに書きまくったんだろうなー相当深いところの自分との対話だと思う。深ーく入ると、質問したら瞬時に答えが返ってくる感覚になるからね。ヴィパッサナー瞑想やアヤワスカでもなったのだ。まあだからなんだって話。自分の中に答えは既にあって、それを意外と覆い隠してるだけのことが多いってことが急に言いたくなった。自分の中の尺度の話だけど。

俺の文章にも特に意味はない。これが残せたからと言って俺の存在価値を証明するものでもない。俺自身の生をこの文章に込めたいとは思う。でもそれはいいことでも悪いことでもない。自己満足。そうだ。書いていてただ楽しい感じがするから吐き出しているだけだ。

下心がないわけじゃない。この文章を読んで、感動しました!いい文章だね!素敵!結婚して!って言われたい。それをひた隠しにして書いていた部分もあって気持ちが悪い。まだまださらけ出せていないことはたくさんあるだろうな。

思考ではたどり着けない場所に手が、見えざる手が誘ってくれている感じはする。いや、手は見えとるけど。

何でも楽しんでやることもできるんだろうし、何でも笑い事として捉えることもできるだろうし、俺も面白い人間でいたい願望はある。こいつは面白いやつやで…と思われて死ねたなら本望だ。結局はそこに帰結する。

つまらないやつ。どうでもいいやつ。興味ないね。そんな風に思われたら結構しんどそうだ。死んでも死に切れず、シャーマンに召喚してもらいたい。

お笑いの人は「面白さ」に注目して世界を見ているんだろう。だから自分が笑うことも多いだろうし、人にその気づいた面白さを伝えることができる。自分が面白いと思っている話題だから、面白い部分に着目しておかしく話せる。

俺はどんな世界を見てきただろう。かなり「諦め」に注目していたんじゃないだろうか。どうせできない。そんな思いに押しつぶされそうになって、必死に言い訳を考えていた。

確かによく考えればこの世界で俺の生きている意味なんて、ないといえばない。別に俺が死んだからって地球が滅びるわけでもない。生きているのは惰性。死ぬのが怖い。でもそれはある程度生きることに希望も持っていることだったのに気付くまでに結構かかった。虚無主義を気取って、斜に構えていた。

でも結局のところ、生きてる方が楽しそうだったんだ。死ぬのも怖いし、死はいつかは誰にでもあるし、文字通り生きているうちにできることは、生きている間にしかできないのだ。それを思うと死ぬのは結構もったいない。という判断。

明日死ぬ身の俺としては、一番やりたかったのがこんな文章を残すこと何だから、何だか笑えてくる。全然かっこいい文章じゃないと自覚出来るくらいの文章だし、俺の人生の結晶ってこんなもんなのかよ、これでええんか本当に!?って感じも否めない。

もっと、志を掲げて、世界平和や後世の子供たちのために、素敵で感化できるようなカッコイイ言葉を残したいような気もする。でも、俺にはまだそんなカッコイイ理想を掲げて誰かを動かせるカリスマ性もなければ経験もないのだ。原体験もないし、まだろくに世界も世間も知らない。

そんな、それこそ上っ面だけの綺麗で素敵な言葉を残して死ぬほど、やりたくないことはない。あるがままに俺が感じたことだけで書いたものに、俺は意味を感じるのだ。人が大して意味を感じなくても関係ない。

未来の無くなった自分だからこそ、変な執着を捨てられる。世界を旅もできていないし、童貞も捨てられていないけど、そこからしか見えないものもあるはずだ。それは今を逃したら、その視点には戻って来れなかったかもしれない。

この文章を残すということは、今を残すことだ。俺の等身大でしかない。俺の視野はとてつもなく狭い。出てくるのは自分のことばかりだ。そう。それが2021年5月の俺である。

こんなものを書いたところで誰も読まないかもしれない。死ぬんだから、誰かしらは読むだろうと期待して死ぬことにはする。ただ共有したかったのだ。イントゥザワイルドという映画にもあったけど、結局のところ誰かと共有したい のだった。俺という存在を、少しでも理解してほしい。理想を語ったり、気取った偶像の自分なんかじゃなく、今の俺というそのままを知って欲しい。

最後に思うのはそんなことだった。

こんなエゴ。押し付けてしまってすまない。あまり申し訳なさも感じていないけど。

うーんでも本当に俺が伝えたいことってこんなことなのか、残したい遺伝子はこんなよくわからないものなのか?筆が止まる。でもこの止まる筆すらも俺の今なのだ。それすらも共有したいのだ。この葛藤を。もっと格好つけたいけど。

この文章を書いて、俺の人生が全て詰まっているだなんて口が裂けても言えないけど、何とも情けない話だが、今の俺の全力なのです。失望した?笑える?ダサい?そう感じたならそれはそれ。あなたの胸にしまっておいてくれ。俺は知ったことではない。

意外ともう一人のボクである自己否定人格は大人しい。何だか面白くないようだ。こんだけ開き直られるとね。どうせ最後なら開き直って、きたねえ花火でもいいから打ち上げておきたいよね。

随分と長々と遺書でも無いのに書いてきたこの文章。果たして何なんだ。と思うだろう。もっと伝えたい、熱い思いが眠っているんだろう?と期待してこんなところまで読んでくれてたなら残念だったな。ここで終わりだ。次回作もない。もう飽きたし疲れた。スラムダンク読みたい。

とは言えそんな終わり方をさせるほど俺は甘くない。

今まで出会えた全てに感謝している。俺自身をいじめてきた自分にも、成仏のお祈りを捧げたい。散々エゴに集中して書いてきたせいか、それには割と満足を覚えた。

本当にこの生でたくさんのことを学べたし、他の人では経験できなかっただろうことも数え切れないほどにある。本当は多分数え切れるけど数えるのは面倒だ。

俺が願うのは、もっと自由に生きて欲しいということ。みんな最高に面白いし、自分だけの人生だから楽しんで欲しい。あーなんかこんなことを言うのはむず痒い。吐き気がする。

俺は割と人生に満足していると言ったけど、それはエゴだけの話。いや、本当は死にたくはない。強がっていた。ある程度満足はしているけど、上辺だった気がする。

もっともっと面白い人間でいたかったし、誰かにとってかけがえのない存在だと言えるようになりたかったし、純粋に自分を好きだと言い張れるくらいには誇りも持ちたかった。誰かに影響を与えて、チヤホヤされて、格好いいと言われて、真に受けて大失敗してみたかった。もっとバカなことをしたかった。セックスだって一回くらいはしてみたかった。世界を飽きるまで見たいし、本だって読みたいものが山積みだ。

死ぬ覚悟はできているつもりだったけど本音を言えば、そんなものはなかったのだ。まだ生きたいのです。愛を知りたいしこの先の未来を見たい。

もっとみんなを笑わせて、笑い合って、あー幸せだーって笑泣きしながら過ごしたい。

結局のところ、散々書きまくってきた文章すら格好つけて斜に構えていたのだなー。俺はいつまで格好つけてりゃ気が済むんだ。それこそ死ぬまでなのか?

誰かを幸せにできたと心から言えるような自分で死にたいよな。せめて。感謝だけしてグッナイ!なんてのは何というか無責任にも程がある。だせえ。

どうせならかっこいい人間でいたいし、誰かにデカい影響を与えたい。死ぬんなら、みんなに俺のこんなところもあるで〜って知ってもらうなんて小せえことで終わらせるのはくそだ。

誰かに何かを伝える。そんな単純なことがこんなに怖いなんて。文章の中ですら。自分以外に届けると意識するだけで、何だか胸が苦しくなる。綺麗な言葉、未来への希望を届けたいけれど、俺にそんな資格があるか。そんな在り方を示せているか。全く自信がない。

でも、この世界はどこを切り取っても美しいと感じたことはある。見方次第で世界は変わる。当たり前と切り捨てて見えなかった物の中にも美しさを感じる人はいる。全てに意味も見出せる。それは人間にしかできないのだと思う。

様々な気分が混濁している。

こんだけ書いてきて、ようやく始まりに過ぎないような気分だ。それはとても苦しく、ワクワクすることのように思える。

綺麗事なんか言ってたまるかとここまで、そうやって思い込んで、決め込んで書いてきた。そんな思い込みすらなんかどうしようもなくダサい。

だって綺麗なことで溢れてるんだから。

俺としては、何というか、知って欲しい。この世界の本質は綺麗で美しいのだと。気づいて欲しい。生きていることって素晴らしいなーと。

繰り返される日々の中に埋もれて生きているのが、とてももったいないと思う。俺がいうのもおこがましいけれど、何だか現状に諦めて過ごしている人がとても多いと思う。

もっと楽しいことして欲しい。純粋に自分の中で本当にやりたいことを考えて、そこにバカになって欲しい。それを見たい。

いきいきとしていて欲しい。その方が面白いから。

あーブーメランすぎて痛い。

筆が重い。さっきまでが嘘のようだ。大きな壁がある。自分の中にある暗闇だ。押さえつけてきた感情や思考。アクセスしようとすると拒否される。

俺なんかがそんなこと考えちゃいけない。そう思っていたこと。俺自信を幸せにもしてしまうから感じないようにしていたこと。

未来への希望。そんな綺麗事は俺なんかがいっちゃいけない。そんな思い込みが強く俺の胸を人質にギュッと締め付けて拘束してくる。

自分を汚い存在だと決めつけていた。そう決め付けることで全ての問題を解決しようとしてきた。俺が悪い。俺がダメだから。自己否定を繰り返すことで生きてきた。

暗い洞窟を俺は抜け切れない。まだ先は暗い。明るい未来を、曇りのない気分を描くことすら怖いのか。

希望に満ち溢れたはずのユートピアが実はディストピアであるかの如く、俺は幸せを恐れている。幸せだーってのほほんと過ごしてしまうのは何か怖いのだ。どちらかと言うと、ヒリヒリするような冒険の方が面白そうだ。

明日死ぬのに、そんな壁すら乗り越えられずどうするんだ。ほんまに、行けるところまで行きたいよな、どうせならさ。

そうさ。綺麗事を抜かしまくって死んでやる。偉そうだとか、そんな資格はないとか、そんなことは知らん。俺は人間に可能性をめちゃくちゃ感じているし、期待しているのだ。共同幻想だろうが何だろうが、一つの種がまとまって、意思を持って進めるなんて、凄すぎる。

俺はみんな幸せになってほしい。豊かな人生を歩んでほしい。それは、豊富な感情を味わうことだと思う。辛いことも楽しいことも、それぞれがいい味を出してるんだってことだ。単調なだけの音楽も小説も人生もつまらない。生きることとは動きなのだ。止まっているように見えても循環している。

殺し合うとかではなく、より高め合うために争ってほしい。お互いの健闘を称え合って、リスペクトを持って。

共生したい。なるべく多くを巻き込んで。あらゆる人間だけじゃない。生き物も、生き物じゃない物たちだって搾取したりされたりする関係じゃなく、お互いにバランスよく、win-winに。

愛している。俺はこの世界も人も、ミミズだってオケラだって友達だ。恥ずかしい?知るか。愛していることに決めた。感情は伴ってくるさ。死ぬころには。

全てに感謝したい。いや、感謝する。思いつく限り全てに。そうやって死にたい。それ以外は余計なことな気がする。

あーこの世の全てが愛おしい。可愛い。美しい。面白い。素敵だ。なんてカラフルで、綺麗なんだ。何色がいいとかそんなんはねえんだ。

心を開放したい。動かしたい。熱い思いを届けたい。

俺は冷めた人間だとかそんなアイデンティティをぶっ壊して、胸がアツくなる想いや言葉を結局は届けたいのだ。生き様とかは関係ない、届けたい想いが全て。文脈とかもぶっ飛ばして、生きることの素晴らしさ、楽しさを死ぬ間際に届けたいんだ。

死ぬとなったら生きることのかけがえのなさに気付くなんて、ありきたりすぎて書きたくなかったんだ。ダサい。散々聞いたことあるし。

俺にしか書けない文章を書きたかった。でも、気づけばどこかありきたりな文章の山ができていて。そんな自分の才能のなさに嫌気がさしながら、結局俺は薄っぺらい人間だなんて思いながら、それでも書き続けてきた。

築き上げていたこのゴミの山。このゴミの中にも誰かにとっての宝物になり得る何かがあるならいいんだが。

明日死ぬ。このまま寝たらもう目を覚さない。

俺は何を残せるんだ。いや、何を残したいんだ。これを読んだ人に何を感じてほしいんだ。

俺の分まで楽しんで生きてほしいんだ。たくさんのことを味わって、天国でそのことを聞きたい。天国があるかどうかも知らんしどうでもいい。なかろうがただ聞かせてほしい。笑いながら伝えてほしい。

もう、それだけだ。さようなら。

いやあああ、まだ言いたい。結局言いたいことは綺麗事になってくる。それはエゴを出し切ったからなのかも知れない。無駄じゃなかったとも言えるな。

未来が見たい。何だろう、俺が世界を変えられるなんて想像はできないけど、なんかそんな未来を描きたかった。物語を作りたかった。誰かが俺の文章を通じて感動したり、影響を受けて欲しかった。最初はそんなことに責任を持ちたくないって思ってたのに。

頼む。もっともっと、きっと幸せになれる道はあるはずだし、可能性を制限してしまっているのがもったいないんだ。生きているうちに。明日死ぬのかも知れないのだからなるべく早く。勿体ぶらずにお前の面白い姿を、いきいきした姿を見せてくれ。俺は天国からか地獄からかは知らんけど見守っている。期待している。やっちゃってくれ。頼むから楽しんでくれ。最高の人生だったって笑って伝えてくれ。俺の分まで生きてくれ。年数とかじゃなく。

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