経済の章(壱)

今回は「経済の章」。
私たちが生活する上での大前提となっている概念ですが、
改めて何なのかを考えていければと思います!
(第一弾は主に経済の血液である貨幣について見ていきます)

経済とは

「経済」という言葉の元来の意味としては

「経国済民」または「経世済民」の略。 国を治め、民を救済すること。

ということで政治的な意味合いの言葉であり、現在のように貨幣を使った商品やサービスの消費等という意味ではなかったようです。明治期に訳語として現在の”経済”の意味合いが与えられ、現在はそちらの使い方がメインになっていますね。

とはいえ、当たり前ですが貨幣を使った商品・サービスの消費や金融取引などは明治期以前から日本で既に行われていました。今回はそもそも経済活動のルーツは何か、説はいくつかあるようですが考えていきたいと思います。

価値の交換

価値の交換というと人間特有のものというイメージが強いですが、生物同士でのエネルギーの交換という観点で言えば太古の昔から行われてきました

私たちは単細胞生物の頃からミトコンドリアと共生生活を送り始め、エネルギーの交換をおこなっています。お互いの価値を与え合うという意味では経済活動と言えるかもしれません。

細胞単位でなくとも、クマノミとイソギンチャク、花と蜂、人と腸内細菌など協力関係を結び価値を与え合うことは遺伝子に刻まれている本能とも言えます

物々交換

より現代の考えに近い価値の交換というと物々交換でしょうか。1万年ほど前に狩猟採集生活から農業社会へと移行していった人類は、定住と分業を行い集団の規模を拡大していきました。

規模の小さい集落であればそれぞれが得意を生かして役割分担をしながら別の食糧同士を分け合っていたと思いますが、規模が大きくなるとそれだけでは難しくなったでしょう。そこで自分達の余った食糧や物品を持ち合って交換していたと思われますが、物同士の交換になると、相手の欲しいものと自分が欲しいものを交換できないことも多くなります。欲しいもの同士でも価値が釣り合っているのかも判断が難しいです。

そこで発展していったのが貨幣でした(最新の説では物々交換から貨幣が派生したわけではないという説もあるので後で紹介します)。

貨幣の発展

原始貨幣

最初に貨幣としての役割を果たしていたのは、貝や砂金、布、塩など価値が変わりにくいものと言われています。米や小麦などの計量しやすく腐りにくいものも交換には都合がよかったでしょう(だからこそ食糧としての目的だけでなく、交換用の物品としても育てていたという説もあります)。紀元前2500年ごろのメソポタミアでは保存と計量に優れた銀が貨幣として使われ、労働者への支払いに使われていたようです。

金属硬貨の始まり

その中で紀元前7世紀ごろリディア王国(現在のトルコ)で初の金属硬貨が発行され始めました。エレクトラム硬貨と呼ばれる金と銀の合金で作られたもので、あらかじめ計量されていくつかの種類か鋳造されていたため、いちいち天秤で重さを測る必要がなくなったのです。

この硬貨というアイデアはギリシア、ローマやアレキサンドロス大王などを通してアジアなどに広がっていったとされます。ようやく現代の貨幣に近いイメージになってきましたね!

こういった金や銀で作られた硬貨は原材料自体の希少性ゆえにそれだけで価値を持ちました。しかし希少性が高いということはその分だけ発行できる数も限られます。しばらく硬貨の時代が続きますが、12世紀中国で”会子”という紙幣が国に認められ使われ始めました。

紙幣の始まりと発展

その物自体には価値は無い(文字通り紙切れ)ながら、銀と交換が可能な紙であるという保証によって価値が担保されている兌換紙幣です。とはいえ価値を担保している銀の貯蔵量はもちろん限られているので、紙幣を刷れば刷るほど価値は下がっていきインフレを引き起こしてしまいます。当時の宋国もモンゴル帝国のフビライ・ハンと戦っていましたが、さまざまな出費を補うために紙幣の発行をし続けた結果として、価値が目減りし、経済の衰退も続き、結局は滅ぼされて元に統一されました。

その後フビライ・ハンは広大な領土を獲得します。そして持ち運びに便利な紙幣のアイデアを採用し新しく発行し始めました。詳しくは割愛しますが、領土内での紙幣の統一も成し遂げ、試行錯誤を重ねる中でなんと金や銀による価値の裏付けがない紙幣を発行し始めます。

金や銀と交換できない紙が価値を持つのか?

それは皆さんもご存知の通り価値を持ちます。それは国家の信用に裏付けられているからです。強力な統治者フビライ・ハンの権威によってその紙幣は価値があると保証され、国民もその価値を信用して使っていました(銀の裏付けがある前の紙幣も闇取引では使われていたようですが)。

私たちが使っている諭吉さんも紙自体の原価は17円です。しかし、日本という国が価値を保証して、それを信用することによって価値が生まれています。言ってしまえば共同幻想ですね。みんなが信じれば実在する事になる世界です。逆に言えば国家の信用が失われればその紙自体の価値も失われるということ(それは現在の日本でも同じ)。実際にフビライ・ハンの発行した紙幣も統治者が変わったり国が安定しなくなると価値がなくなっていきました

原価が抑えられ金銀との一定価格での交換も保証しない、不換紙幣という発明は現代の私たちの生活にも深く根ざしています。そして、より発展した形としてビットコインなどのデジタルな通貨も作られ始めました。もはや国家や中央銀行などの単一の管理者も必要しない分散型の通貨です。

と、こんな形で貨幣の進化を見てきましたが、物々交換から貨幣が発展していったとされる従来の説は証拠が少なく、別の可能性を指摘する学説も出てきました。では貨幣のルーツはなんだったのかと言うと、「債務」と「債権」と信用取引の仕組みだと言います。金銭の支払い、物の引き渡し、労力を提供すること等の権利と義務が、貨幣の前身となっていると言う説です。

新説

つまるところ、贈り物など恩を受け取ったならきちんと返す義務が発生するということです。
なんだか当たり前のことのような気がしますね。ですが考えてみると物と物との交換のように、価値も計りづらく取引も成立しづらい形よりも、先に相手に与えたり与えられたりした上で、相手が必要な時に借りを返す方が起こりうることではないでしょうか。他の部族などとの交易なんていう前に身内でそういった信用取引が成立していたというのはしっくりくる話です。

実際に文明が誕生してすぐ、紀元前5000年ごろにはメソポタミアの粘土板から融資が行われていた証拠が見つかっています。
また、ミクロネシア・ヤップ島で見つかったのは「フェイ」と呼ばれる石です。直径が最大で4メートル弱にもなる世界最大のお金と呼ばれています。運べないため取引は記録され、その内容がフェイの所有権の根拠となりました。

つまり物と物とのやりとりではなく、記帳によって取引を行なっていたわけです。

こういった信用取引の仕組みが発展して、現在の貨幣制度につながったと考えられています。確かにしっくりくる部分も多いですね。ただ、物々交換が起源だとする説が否定されたわけではないですし、同時期に始まっていてもおかしくはないと思います。

「そんな説もあるんだ!なるほど!」

という感じで覚えておいていただけたら幸いです。

簡単なまとめ

というわけで経済の章、第一弾は経済の血液とも言える貨幣の歴史を中心に見ていきました。
次回は現代のシステム資本主義などの考察をしていきたいと思います。
次回もよろしくお願いします!

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