ビジョンクエスト2日目 ー雨と無知ー

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2日目の朝を迎えた。

太陽は完全に雲に覆われ、グレーな空が気怠そうにしている。

明るさ的に今はおそらく6時から6時半だろうか。

人間、意外とこういう感覚は鋭いものだ。僕に限らず。

寝袋から出て立ち上がり、昨日とは別の木の根元に向かって小便をする。また水分が体内から減ってしまった。今のところ喉の渇きに憂うことはなく、口の中も湿っている。空気中の水蒸気量が多いのだろう。今日は雨が降る予報だから当然か。

事前の天気予報では今日から雨が降り、気温が一気に冷え込むはずだ。どのくらいの寒さになるのか、熱を生み出すエネルギーを外部から摂取できない以上、無理はしないようにしたい。

とにかく雨が降る前に寝袋やバックパックはブルーシートの下へと養生する。

一息ついて木に寄りかかり、あぐらを組んで座る。目を瞑って意識的に言葉を浮かべる。

「朝を迎えられてよかった。体もありがとう。寝袋もありがたい。見守ってくれた兄弟たちもありがとう。みんなもありがとう。全てに感謝。」

「自分を愛します。世界を愛します。地球を、自然を愛します。人間を愛します。その覚悟を持ちます。」

別にビジョンクエストは関係なく最近のモーニングルーティンにしようと思っていたことだ。
感謝の言葉と誓いの言葉。毎日思い出せるように。忘れぬように。
格好つけていて、聖人面しているようであまり人には言いたくない。

小さい頃から綺麗事が嫌いだった。この世は理不尽なことも多いし、祈ったりなんだりしたって現実は何も変わりはしない。そんな斜に構えた態度で過ごしていた。偽善者になりたくなんかないし、でも純粋な善意の人間にも成れないと諦めながら。

でもこうやって毎朝を迎えると少しずつでも、まあそう言ってる自分もアリなんじゃない?くらいには思えてくる。思考や価値観が現実を変えうるとも知れたから。

そうこうしていると7時を告げるチャイムが鳴った。

やはり意外と体内時計は正確だ。


ポツポツと水滴が空からこぼれてくる。

ついに雨が降り出したようだ。想定通り、勢いのない斥候を務める雨たちくらいであれば頭上の木々が防いでくれている。幸い気温もそこまで冷え込んではいないので、とりあえず浴衣に羽織スタイルで雨に打たれてみることにした。

少しすると段々と雨が強くなり、風も音を立てて吹いてきた。ソテツ畑の上では雨粒がはっきりと斜め線を描いて見える。流石にこれ以上は庇いきれない、と木の葉に溜まった水が滴り落ちてきて体を濡らす。思っていた以上に雨脚が強い。羽織を脱いでブルーシートの下に隠す。これ以上水を吸わせてしまうと、防寒どころか逆にHPを奪っていく呪われた装備になりかねない。

浴衣は諦めようと決め、しばらく雨に身を晒して瞑想する。ルール違反な気がして、口に入ってしまったり飲んでしまうことのないようには注意しながら。

本当に水は恵みだ。たくさんの命の源と言っても過言ではない。人間だって体のほとんどが水だし、地球以外で液体の水が見つかったら生きものがいるんじゃないかと大騒ぎだ。

恵みの雨。水に恵まれた日本にいるとあまり意識しないが、ある事が当たり前のものほど本当は価値が高い。空気や水がなくなれば僕らはすぐに死んでしまう。何も当たり前じゃないのだ。恵まれていることに気づく必要は今の時代だからこそあると思う。

びしょびしょになりながら12時の鐘を聞く。

もう濡れるのはやめにしよう、そう思い立ち浴衣は脱いで木に掛ける。もうこのビジョンクエスト中に着ることは叶わないとは思うが、案山子のような感じで見守っていてもらおう。

流石にTシャツ一枚に軽く濡れてしまったズボンでは寒い。ポンチョで身体を覆い、ブルーシートの下の寝袋にくるまる。外の世界が嘘のように暖かい。雨がブルーシートを激しく打ち付ける音を聞きながら、濡らさない決断をして良かったとホッとする。

今回の参加者にはブルーシートも寝袋も持たずに参加した人もいたので、マジで大丈夫かなと心配になりながら、自分は意気地なしだなと少し恥じながら、ぬくぬくと寝袋の中でバックパックから取り出したマッチを擦る。

蚊は多くなかったが、プーンと甲高い羽音が耳元に響いたので蚊取り線香に火をつけて、とりあえずこの場から去ってくれることを祈った。

もう一本マッチを擦り、聖なる香木パロサントに火をつける。

先端を赤く灯しながら漂うパロサントの甘い香りは神聖さと温かさを思い出させてくれた。

一眠りしよう。

しっかりとブルーシートの下に荷物と身体が覆われているの確認してから目を閉じる。

なんだか寝てばかりな気もするな。

まあいいじゃないか。

何度か不恰好に寝返りを打ちながら、大した考えが浮かぶでもないのに意識はふわふわと空に立ち消えていく煙のような心地で段々と薄れていった。


今は何時だろう。

17時のチャイムは鳴っていないから15時くらいだろうか。

ブルーシートから顔を少し覗かせると、心なしか薄暗くなっているような気もする。

雨の勢いはさっきよりは幾分かマシそうだ。

とはいえ持ち合わせの着替えも全くない現状では、これ以上一つの装備でも濡らしてしまうと命に関わる恐れがある。身体を濡らした状態で夜を超えるのは想像しただけで寒気がした。

もしかしたら残りの2日はガッツリと雨に身を晒すことはもうないかもしれない。もちろん最終日に体力が有り余っていたりしたらその限りではないだろうけれど。

そんなわけでブルーシートカタツムリ生活が始まった。寝袋にくるまった姿はカタツムリというより、蛹に引きこもった芋虫に近いかもしれない。やれることもないので(と言っても外にいたところで大して差はないのだが)今日はひたすら自分の体に意識を向けながら瞑想することにした。

頭から段々と意識の眼を足先まで下ろしていく。ボディスキャンをされているようなイメージだ。意識しにくいところや、違和感のあるところは止まって意識を集中させる。

科学的にもリラックス効果の高い瞑想法として実証されているようだ。

確かに意識を巡らせていると、緊張した筋肉が緩む感覚がわかる。普段どれだけ余計な力みをしてしまっているのか考えると頭を抱えたくなるが、それが解れていくのは快感でもあるから、物事はつくづく表裏一体だ。苦しみや痛みがあるから幸福や快よさがあるのかもしれない。ギャップが大事というわけだ。

そうやって身体を弛緩させているとすぐ眠くなるからいけない。寝る時は大抵こうやって寝ているのもあって習慣化されているからか、気づけばまた眠ってしまっていた。寝付けない時にはおすすめしたい。

南房総に住み始めて2年。

もはやこちらも習慣化されている17時の鐘の音が聞こえる。

いや、実際のところ地元の埼玉でも同じ音色が流れていたことを踏まえると、かなりの年月刷り込まれていることになるな。

などとぼんやりした頭で考えていると、またトイレに行きたい欲求が生まれていた。
僕が惰眠を貪っている間にも身体はせっせと仕事をしてくれている。ありがたいと同時に「水飲んでないけどそんなに出しちゃって大丈夫?」とも思う。

雨は小降りだが、半袖では心細くなる寒さだった。意を決して暖かい我が家から抜け出すと、はだけてしまっていたポンチョを肩から羽織る。フードも被り髪を濡らさぬよう注意しながら、また別の木の根元へ行って用を足す。流石にいつもより濃い色をしているな、なんて考えながら量的には普通に排出されていくのを見てまた少し不安になる。

ただ、雨のおかげで空気中の水蒸気量が多いせいか喉が渇くような感覚はほとんどなかった。たまに腹の虫が鳴るけれど食欲は抑えるのに慣れているので全く気にならない。というよりも気にしたって食べるものもないんだからと、欲求の説得はいつもより容易なくらいだ。普段は食べ物がすぐ手に届く状況で我慢しているし。

今のところ立ちくらみなど体調に目立った異常もない。ただ、夜の間を濡れながら外で過ごすような勇気や体力の自信はなかったのですぐに夢のマイホームへと舞い戻る。単に寝袋の上にブルーシートを被せただけだが、雨風を防ぎ暖を取るには十分だった。

割と良い寝袋を昔買っておいて良かったと心から思う。

夜を越せば明日はもう3日目。

過去を振り返って、未来のことを考えようとは決めていた。

今夜はどうしようか。

全くロマンチックではないが、ブルーシートの天井を眺めながら心に耳を傾けてみる。


最近の生活でポツポツと浮かんでいたキーワードをいくつか引っ張り出す。

「遠慮」
「自分らしく」
「ありのまま」
「プライドやこだわり」
「他人との比較」
「俺の強みや弱みって?」
「命をどう使いたいんだろう」
「明日死ぬとしたら」
「役割や与えられるもの」
「教育」
「恋愛」

夜を徹して語り明かすには1つの主題でもお腹いっぱいになるし、酒の肴にもぴったりなのだが、前半で浮かんだことを心の赴くままに自分に質問していく。

「遠慮しすぎなんじゃない?」

正直、言われ慣れていてもはや「うるせえ!」とハネつけたくなる疑問なのだが、図星だからそんな反応をしている自覚もある。

幼少期、特に物心ついてからは基本的に遠慮がちに過ごしてきた自負はあり、自分の意見は言わないし、自分から話を振るのも嫌だし、人と衝突することを極端に恐れた。誕生日やクリスマスなど特別な日以外には物をねだったり駄々をこねたりもせず、ご飯も本当に満腹になるまで食べることは稀だったし、外食をしても基本的に一番安い物を頼むようにしていたし、エアコンやストーブなどもなるべくは使わないようにと努め、お年玉は全額貯金に回す。

我ながら慎ましい事この上ないのだが、根底にあるのは「自分には価値がない」「迷惑な存在だ」「自分なんて」という何とも後ろ向きな価値観である。

そんな価値観を醸成した理由にはいくつか思い当たるけれど、俗に言う”確証バイアス”のようなものが大半かもしれない。

とにかくそんな ”過去” に原因を探したところで ”今” や ”これから” には関係がないこともわかっている。結局は”今”、”これから”、「どのように生きたいのか」にしか現状を変えていく力はない。

もちろん、過去を知り要因を知っていくのは大切だし大きなヒントになる。でもそれらはこれから「どのように生きたいのか」を決めるためのヒントでしかない。

だから言えるのは、これだけだった。

「俺は遠慮せずに生きたいのか?」

「うん。俺は遠慮せず生きたい。その方がカッコいいと思うし、『自分の人生』って感じがする。習慣を変えるのは難しいと思うけどちょっとずつでも。」


自分との対話は唐突に始まる。

「俺ってネガティブなようでいて根本では自分に過度な期待をしてるよね。」

「確かに、嫉妬したり人と比較して嫌な気分になるけど、意外にも自分はできるはずだって期待しちゃってるからかもな……」

期待が大きければ失望も大きい。
自分で自分を卑下し傷つけていることが多いのは、逆に言えばそれだけ期待してるってことなんじゃないかと最近になって気づいたのだった。

「なんでこんなこともできないんだよ。なんでもっと上手くやれねえんだよ。ほんと使えねえな。役立たず!」

上手くできなかった時、失敗した時、恥ずかしいと感じ自分に怒りを覚える。
そして無意識レベルでこんな言葉をぶつけていることが多かった。

そんな言葉たちを恐れ、失敗を怖がり、「他人の目」と嘯きながらATフィールドを構築するのがお決まりのパターン。失望を繰り返した挙句に「どうせ俺なんて」が口癖になる。

「遠慮」にもつながるループ。
俺の意見なんてゴミだ。
どうせ汚れ役がお似合い。

そうしていくうちに素直な欲求や声は、認識される前に叩き潰され、見えない場所に葬られる。

積もり積もった不満は見えない足枷となって、体に重くのしかかり、何が原因かもわからないままに霧がかかったようなモヤモヤとした感覚で日々を過ごすのだ。

結局は全て自分が生み出している。

少しずつでいいから取っ払って生きたい。

「期待してくれてありがとう。俺なりに頑張るわ。」

くらいのノリで。


夜は昨日よりも濃い闇で僕らを包んでいる。

ゴオオオオオオオ

成田空港にでも降り立つのか、航空機の明かりがしばしば夜空を灯して過ぎ去っていく。

こんなに飛行機が通るなんてここに2年いたけど気づいていなかった。

もはや時間の感覚が曖昧になる中で、人の営みは今日も変わらずに動いているのだと認識させてくれる。

また明日はやってくるし、雨もいつかは止む。

眠ってもまた目覚めることができると確信しているから安心して寝られる。

考えてみると少し不思議だけど、今日もまた寝よう。

いい1日だった。

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