固定観念を外していく。信念とただの言い訳

どんな信念も足かせになることはきっとある。

言い訳のためだけに信念を持っていることもある。

自分が挑戦しないことの言い訳だ。

例えば僕は、「競争なんてくだらない」という信念を持っていた。

それは正しい時もある。

でも全てに適応できるわけではない。

だからその場その場の目的にフォーカスして、本当にその信念で良いのかを考えなくてはいけないはずだ。

競争、比較をしないというのは本人の自由だが、どんな場面でもその信念に縛られてしまえば視野が狭まる。

あくまでどちらも知った上で、理解し考えた上で選ぶこと。

信念すらも柔軟に変わりうるのだ。

インテグラル理論でもあったけど、多様性を尊重しようとするあまり、「多様性を尊重することが正しい(それ以外の考えは間違いだ)」という思考になってしまうのは結局信念に沿った考えができていない。

どんな言葉にも二つの側面は必ずある。

絶対的真理のような固定された観念は、それだけ視野を狭めてしまう。

また、信念だと思い込んでいても現状維持の言い訳のために依存している場合もあるだろう。

僕の場合はまさにそうだ。

「競争や比較なんてくだらない」

それは確かにそうとも言える。

だけど本音は比較や競争が発生した時に負けるのが怖いからそうやって言い聞かせているだけだったりする。

やはり無知の知が大事だ。

頭でわかっているつもりでも、固定観念に引っ張られて心はそちらに反応してしまうものだ。

人間は遺伝だけで決まるんじゃなく努力で自分を切り開くことができる。

最初はできなくても恥ずかしくなんかない当たり前のこと。

根拠のない自信を持って良い。

自分自身には価値がある。

ありのままで楽しくいれば良い。

そんなことは頭ではわかっている。

だけど

有能に見られたい。

自分は特別劣っている。

変わることはできない。

何もかも低レベルで恥ずかしい。

調子に乗るな。

そうやって思い込んでいる部分は多々ある。

気づいて言い換えていく。リフレーミングしていく。そうやって一歩ずつ固定観念を壊していこう。

固定観念が壊れるのは快感だ。

楽しい趣味だ。

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