砂と空気の束を巻き込んだ大きなうねり。目を閉じ、ただその水の動きに身を任せる。海底の砂に引っ掻かれながら身体は回転して、塩分を濃く含んだ海水が辛さを伴って喉や鼻を通り抜けていく。波の力が抜けるタイミングで水面から顔を出すと、目を開き髪の毛をかき上げて息を吸う。
どうやら俺はまだ生きているようだ。
人は死を見つめることでしか本当の生を発見することができない。死の恐怖から目を背け続けたとしても生涯その恐れから逃げることはできないのだから。俺は全く死にかけたわけでもないけれど、痛みを感じるときはそんな考えがふと頭をよぎる。
これも俺が自分自身の命を正当化するための欺瞞かもしれないが。
「ゴホッゴホ……!かれぇー!けど最高!!」
「よくそんな高い波に突っ込んでいくよね……からだも傷だらけだし。ほんとイミフ。」
半ば呆れたように”彼女”は笑いながら砂の城を築いている。あいつはというと、どちらにも共感しているのか煮えきらない表情を浮かべて突っ立っていた。
「お前らもやってみろって!自然の力を体感できるぞ。偉大な自然様には勝てねぇってことはいつでもわかっていた方がいいからな!」
「自然に勝つとか負けるとかないでしょ〜。私たちも自然の一部なんだから調和していかなきゃね。」
「僕はそろそろキャンプ場に戻って読書でもしようかな。正直言って海で何をしたらいいのかわからないんだ。手持ち無沙汰というかさ。」
「じゃあ私も戻ろうかな!ばあん!」
”彼女”はそう言って建設途中の砂の城を俺めがけて発射してきた。
「うおっと!ちょっとビビったわ!何すんじゃ!くらえ!」
すかさず足元の海を掬い上げて投げるが、”彼女”はビーチフラッグの選手よろしく砂浜を走りだしていて、その海は虚しくも乾いた砂に染み込んでいった。
「じゃ、私たちは先行ってるね!火くらいは起こしとくから!」
「おっけ〜。俺はもう少し海にいるわ。日焼けしたいし。」
「また後で。」
あいつらの背中を見送って大きく深呼吸をする。まだ喉の奥は塩辛い。
海にいるといつも考えずにはいられないことがあった。思えば俺はいつも痛みによって生を実感してきたのかもしれないということ。
父親からの暴力が最初の記憶だ。恐怖と憎しみと理不尽に対する怒りが混ざったような胸を締め付けるあの感覚と、純粋で鋭い痛み。俺はいつも海で泣いていた。波に飲み込まれて死にたいと思ったこともある。だけど広大な水の群れはあまりにも神秘的で、それでいてあまりにも恐ろしく思えた。まあ実際思いとどまったのはひとえに塩水が俺の患部に沁みて、波に突っ込むこともできなかったからだったが。
本当のところ、広大な水の群れには俺自身をどうにもできないほどちっぽけな存在だとわからせる効果もあった。この痛みすら寄せては返す波と同じように生じては消えていくことも。
そんな慰めと痛みの象徴たる海は、俺の心をも波立たせてくる。
そんなわけで俺は海が嫌いだ。
だけど来ないではいられない。
この心の痛みすらも俺が生きていく上では必要な気がして。
さて、砂を洗い流したら戻るか。
浸かった海が切り傷に沁みた。
コメントを残す