いつもは静かなはずの夜のローカル線。今日は普段よりも華やかな雰囲気だ。着飾る人々は半数がカップルだろうか。もちろん私も浴衣を身につけている。白地に黄色い花をあしらったシンプルだけどお気に入りの一着だ。冷房の効きすぎた車内は少し肌寒く、私は君に肩を軽くもたげる。
「花火大会、楽しみだね。」
「いつぶりだろう。ちっちゃい頃は花火が怖かったから。」
「今も?」
「わからない。」
「どうして怖かったの?音とか?」
「うーん、なんか吸い込まれそうな気がして。今でもヘリウム風船が空に飛んで行ったり、高い建物を下から見上げたりするとなんだか背筋から軽く寒気がするんだ。」
「へえー!何それ不思議!でもごめんね、そしたらまだ怖いかもしれないね。」
「多分、もう大丈夫。」
私は「下から見上げるのが怖い」と打ち込み検索した。どうやら”低所恐怖症”というものらしい。高所を見上げることに恐怖を覚える、か。確かに君はいつも下ばかり向いている。
「低所恐怖症って言うらしいよ!」
「そんなのがあるんだ。聞いたことないけど、中には僕みたいなのもいるんだ。」
少しだけ自分の異常性が受け入れられたからか安堵したように見える。駅に着くと飽和しそうな車内にさらに人が入ってきて、私たちは手を握り合う。あと二駅で目的地だ。
「勝手に花火=夏って方程式が出来上がってるけど、なんで花火って夏にやるんだろうね?」
「そうだね……普通に冬に外は寒いからじゃないかな?」
「うわあ、確かにそれっぽいけどロマンチックじゃないねー。」
私はクスクスと笑って君を見上げる。僕はなんてつまらない男なんだ、とでも言いたげな表情だ。
「じめっとした空気で乾いて弾ける花火って、気分も爽やかにしてくれると思うんだー。それに華やかな命の輝き!って感じで夏の方が似合うし!」
「粋な感じがするね。僕とは違って。」
「夏はやっぱり爽やかなものが似合うから、そんなにジメジメしないの!」
冗談めかして笑っていると、目的地に着いていた。湿気を含んで重たい空気が頬を撫でる。「行こう!」と手を引っ張って電車から降りた。
海辺で花火が見れるとあってか、通りは人でごった返している。普段のこの街は穏やかでゆったりとしているけど、今日は屋台も何軒か出ており賑やかで忙しない雰囲気だ。私は引き続き手を握ったまま行きたい場所に向かう。
「ラムネ飲もうよ!」
「ビールにしない?」
「だめ!花火とラムネはセットでしょう?」
「了解。」
花火の開始まで残り30分ほど。長蛇の列だが、飲み物だけの販売だし、そんなに時間はかからないはずだ。
「私、花火を見ると”よだかの星”を思い出すんだー。」
「宮沢賢治?」
「そう。小さい頃に読んでからずっと。よだかは最後、空へ飛んでいって星になるの。」
「ちょっと切ない話だよね。自己犠牲の末に命を燃やして星になるって。」
「うん。それでも星になれたから、きっと幸せだったんだと思うんだ。他人になんと言われても、自分が正しいと思える行いをしたんだから、素敵じゃない?」
「気高くて、すごいよ。僕は星を見上げるのも怖い。」
自重気味に笑う横顔は寂しそうだった。私はキュッと手を握り込む。握り返してくる手の平はあんまり力がこもっていない。
「私だって無理だと思う。そんな風には生きられない。自分も楽しくて、周りも楽しい方がいいよ。誰かが犠牲になってつくられた平和なんて、残された方だってなんか寂しくて辛いもん。」
「ほんとうの幸いはいったいなんだろうね?」
「それを考え続けるのが生きることかもね。」
いつの間にか私たちが長蛇の頭になっていた。ラムネ2本を買って雑踏から離れる。海が見える位置は人の波に覆われてもういっぱいいっぱいなようだ。少し離れた場所のガードレールに腰掛け、ラムネの栓を開ける。水が滴るガラス瓶の喉元から綺麗なビー玉が流れ落ちて、胸の辺りに止まりカランと音を立てる。炭酸の泡が上に向かって弾けながら消えていく。花火のように。
「やっぱり夏の暑さと湿度を吹き飛ばすのはこれだね!乾杯!」
「乾杯。」
小気味の良い音が響いて喉にラムネを流し込む。冷たく澄んだ炭酸ソーダは、ボヤッとしていた頭をも澄ますようにヒンヤリと私たちを現実の今に引き戻してくれる。
「こんなに美味しかったっけ。久しぶりに飲んだ。本当に。」
「ね、ビールじゃなくてよかったでしょ?」
「そうだね。ビールもいいけど、すごく懐かしい感じがするよ。」
「うんうん。思い出こそ至高の美味しさだよ。」
そんなことを言っていると周りのざわつきが落ち着いてくる。どうやら開始時間が来るようだ。映画が始まる直前のように、観客たちはスクリーンとなる夜の闇を見つめている。
細く甲高い音と共に光の粒が空に一直線に飛んでいき大きく弾けた。色彩豊かな灯りが漆黒の空と海を鮮やかに照らし、空気が大きな音を出して爆ぜる。歓声があがり、次々と花が咲いては散っていく。夏の風物詩。なんて綺麗なんだろう。よだかの星を思い出して、涙が出そうになる。こんな風に星になっていったんだろうか。少し手の震えを感じて横を見やると、ちゃんと空を見上げてため息を吐いていた。
「こんなに綺麗なんだ。初めてちゃんと花火を見た気がするよ。」
「怖くない?」
「うん、少しだけ怖いけど大丈夫。君のおかげかもしれない。」
「よかった。」
一瞬私を見たが、すぐに視線を上に戻す。私もそれに倣って夜空の大スクリーンを見上げる。続々と咲き乱れる花たちは色も形も変えながら一瞬一瞬を彩って消えていく。手を繋いで見上げるカップル、キャッキャとはしゃぐ子供たちや笑顔に温もりを感じる家族、カメラを手に取ってひたすらにこの瞬間を切り取ろうとしている男性、スマホで動画を撮っている人も多い。私たちはただ見上げた。この瞬間が愛おしくて、ほとんど喋ることなく見惚れていた。ただ光を見つめていた。
「花火、綺麗だったね。」
「うん!最高だった。」
最後に最も大輪を咲かせた雅な花火が夜の闇に飲まれると、周りでは拍手が起きていた。ざわざわとした日常のような人々の声が戻ってくる。
「今だと電車めっちゃくちゃ混んでそうだね。ゆっくりご飯でも食べてから帰ろうか!」
「そうしようか。」
マップアプリで適当な店を探す。駅から少し離れたところに何軒かファミレスがあるようだ。
「ファミレスでいいかな?何か食べたいものある〜?」
「いや、なんでもいいよ。」
いつもそうだ。大抵のことは私に任せっきりである。私の好きにできちゃうからこれはこれでいいんだけれど、たまには男の子からリードした方がいいと思う。いつものことなのでまあいいや、とマップから経路を選択して指示に従う。
「そしたらイタリアンにしちゃうから!こっちみたい。いこ。」
「イエスマム。」
おおよその人たちは駅の方へ向かうのでレストランへと向かう道は比較的空いていた。と言ってもいつもよりは間違いなく混んでいる。人混みを軽く避けながら歩いていると珍しく君から話しかけてきた。
「花は散るから美しいのかな?」
「うーん、確かに花火がずっと空中にあったらうるさいかも。」
「確かにね。」
いつもより楽しそうな様子で、私も顔が綻ぶ。
「日本人の侘び寂びの感覚というか、死があるからこそ生が輝くっていうのは本当にそうかもって思ったんだ。桜とかもそうじゃない?」
「そうだねー。命の美しさはそこにある気がする。でも桜は一本の木だけど毎年咲いては散って緑が芽吹くけどね!花火だって毎年やってるし。」
「確かに……」
「一回きりで命を燃やす花もあれば、毎年咲く花もあるけど、どっちも生きていて綺麗だもん。人間も好きなように生きていいと思うけど、一回くらいは花を咲かせたいよね〜。私はできれば毎年!」
「僕から見るとずっと咲いているように見えるな。なんとなく向日葵をイメージしちゃう。」
「ありがとう!」
向日葵は一年草だから、一度咲いたら死んでしまうけど、とは言えなかった。ずっと咲き続ける花なんてない。盛者は必衰だ。夏が終われば秋が来て、向日葵は枯れる。
「まもなく目的地です。お疲れ様でした。」
スマホから声がして目を上げるといつの間にかファミレスに着いていた。私は少し落ち込んだ気分を見せないようにして、勢いよくドアを開けて飛び込んだ。席に案内されて注文し、たわいもない会話をする。なんだか日常だ。戻ってきた感じがして一抹の寂しさを覚える。1時間ほど滞在して、店を出た。駅に向かって歩き始める。人混みはもうまばらだった。
電車で運よく向かい合える席に座れたので、頬杖をつきながら窓越しに夜の街を眺める。なんだか今日あったことが夢みたいに思える。妙に現実感がなくて意識がふわふわしている感じだ。ほんとうの幸いってなんだろう。銀河鉄道に乗ったカンパネルラもこんな気持ちだったんだろうか。私が君に渡せるものはなんだろう。残せるものはなんだろう。期限は迫っていた。私はどちらにせよ死ななくてはいけない。君を残して。
「ねえ、実はさ。」
いつになく真剣な雰囲気で尋ねたからか、姿勢を正してただコクリと頷く。
「終電を逃してたみたい。」
一瞬、なんのことかわからないように眉根を寄せたあと、ハッと目を見開いた顔を見て、私は笑いそうになった。
「今日、泊めて欲しいんだ。」
君は目を見開いたまま黙って頷いた。
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