珈琲豆の香りが場を満たしている。窓のない地下にあるこのカフェはノスタルジーを引き出して、都会の喧騒とは一線を画した空間として独立していた。華やかな雰囲気の明るい店舗よりも何となくゆったりとした時間が流れている気がする。
「ブレンドコーヒーとケーキセット、ショートケーキでお願いします。」
「僕も同じく。」
「ブレンドコーヒーにショートケーキのセットですね。かしこまりました。」
ウェイターは恭しく言うと上品な微笑を浮かべテーブルを立ち去った。その姿を見送りもしない内に君は唐突に話を始める。
「この前の話の延長線、じゃないけどさ。生きる意味とか考えたことある?」
「カフェでいきなり話すにしては随分と重い話だね〜、私以外だったらドン引きだよ。」
とニヤニヤしながら返す。少しまごついた様子を楽しみながら、私は嫌いじゃないけどね、と言い添えると安心したようだ。
「考えたことはあるけどさ、先に君の意見を聞きたいな。」
「僕は……生きる意味なんてないんじゃないかなって思うんだ。」
「それは普遍的な意味で?」
「うーんと、そうだね。人間も動物も別に意味があって生きているんじゃないんじゃないかなって。たまたま奇跡に近い偶然で地球ができて、ものすごい試行回数を経たまぐれで生命が生まれて、僕らに進化した。全ては偶然であって、そこに意味なんてないんじゃないかなって。」
「そんなに難しく考えなくても、意味なんて人間が与えるものだと思うよ。」
大真面目な顔でそう答えると、確かに…と呟きながら気恥ずかしそうに目を逸らして一度下を向き、溜め息をついてから続けた。
「そりゃあそうだよね。なんか自分が生まれた意味、生き物が生まれた意味、地球が、宇宙が生まれた意味……みたいにどんどん思考の沼に入りすぎたみたい。」
「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーとショートケーキのセットでございます。」
先ほどのウェイターが、一瞬生まれた沈黙の隙をつき、滑らせるようななめらかな手つきでケーキとコーヒー、それにミルクと砂糖を差し伸べた。
「ご注文はお揃いでしょうか?」
「はい!大丈夫です!」
「それではごゆっくりとお寛ぎください。」
一礼して立ち去るウェイターは項垂れる男に目も向けず別のテーブルへと向かう。私はコーヒーの香りを鼻腔に満たして、カップから口に含む。熱いが火傷するほどではないちょうど良い温度だ。酸味が少しと程よい苦味。普段のインスタントコーヒーでは味わえない香りとコクに満足して、はあと息が漏れる。王道と呼ぶに相応しく、イチゴが冠のように輝き、スポンジケーキの間のクリームにもイチゴが美しく散りばめられていて、いつみても芸術性と喜びを感じさせてくれるショートケーキ。コーヒーの余韻を口に残しながら味わう甘美な白いケーキは至福の時間を舌にもたらし、今という時間に心を戻してくれる。
「やっぱり美味しいなあ。」
さっきの話題はどこへやらとばかりにムフフと笑みを浮かべながらケーキとコーヒーに夢中になる私を尻目に、君は思い詰めたような顔をして腕を組んでいる。
「これが私たちの生きる意味かも?ほら、アーン!」
小ぶりのフォークに乗ったケーキを口の前に近づけると、まるでいま夢から目を醒したかのようにハッとして「い、いただきます」と吃りながらケーキと私を交互に見てから口を開けた。味わっている顔はわずかばかり綻んで「うん、おいひい。」と漏らした。コーヒーも忘れずにね、と軽く目配せしながらカップを滑らせて差し出すと、手に取ってから一瞬香りを味わいそれを傾けた。一息ついて思い出したように続ける。
「これは確かに僕らが生きる意味かもしれないね。」
「うんうん。意味なんてそんなもんだよ〜。」
「生きる意味とか目的なんて自分で決めるしかないのかな。」
「うーん、別に誰か偉い人が決めたものでも良いし、遺伝子の乗り物として種を存続させるとかでも良いと思うけど……」
コーヒーを啜り、カップをそっとソーサーに戻す。遮る様子もないので話を続けた。
「自分で決めた方が楽しくない?」
「そういうものかな?決められていた方が楽だと思ってしまう時もあるけど。」
「それならお好きな宗教へどうぞ!」
「いや、ごめん、宗教はどうしても好きになれなくて。アカデミックな意味では興味あるけど。」
「まあ私もおんなじかな〜『仏神は尊し、仏神は頼まず。』ってね。自分の人生は自分でコントロールしたいよ。」
「誰が言ってたっけ。宮本武蔵?」
「正解〜!そんな博識のあなたにはこの砂糖とミルクをプレゼント!」
私は残りのコーヒーに少量の砂糖とたっぷりのミルクを注ぐ。最初は白いケーキとブラックの組み合わせ、ケーキがなくなったら白砂糖&ミルクとコーヒーを混ぜるのが私のこだわりの一つだ。それを押し付けるのは気が引けなくもないが、一度これを味合わせなくては。ありがとう、と苦笑しながらも別に嫌そうではないのでほっとした。
「あのあと考えたんだけどさ……」
私はカチャカチャとスプーンで砂糖とミルクを溶かしながらも目を見つめる。
「本当の自分なんて、意味と同じで別にないんじゃないかなって。運命とか宿命とか、私はこのために生きる!これを成し遂げるために生まれきた!とかって別に解釈だと思うの。どんな過去にだってどんな意味でも見出せるから。」
甘くて少し冷めたコーヒーを飲んで、落ち着いたあとさらに続ける。
「物語の中の登場人物は生きているって言えると思う?」
急に話が変わったことに戸惑ったのか、数秒逡巡したあとに返事をする。
「いや、そうは思えないけど。想像の中にしか存在しないわけだし。」
「まあ、普通に考えるとそうだよね。」
私が目を落とすと一瞬の静寂が二人の間に訪れた。
「でもさ。”本当の自分”も同じようなものじゃない?アイデンティティとも言えるかもしれないけれど、それだって形ある確かな存在なんかじゃなくて、勝手に想像して創り上げたものでしょ。私たちが『過去にこれがあったから今の私が在るんだ』みたいに決めつけて。そんなの想像の中にしかないものだし……結局みんな人生という物語を勝手に想像して、それがあたかも在るように振る舞っているだけ。だから例え物語に出てくる想像上の人物だって、実際に物質的に存在している私たちだって同じようなものじゃない?」
そう一息に捲し立てると白黒が混ざり合った液体を飲み干す。呆気に取られる君は、考えあぐねているようだ。
「こんな話題、ドン引きだよね?」
「いや、僕は嫌いじゃないよ。」
そうやって笑顔で返してくれる君が好きだ。そしてそれが私の生きる意味。これが例え妄想だと言われても。
考えるときりが無いし結論、結果、正解はない
でも、いろいろと考え悩んでみるとたのしい!
前に進むことさえ諦めなければ、悩み考えたこと含め全部が良い体験になりますよね!