小説『海風』第7話

ふと気づくと14時間も寝ていた。

これだけ寝たのに何故か押し潰れるような瞼にほんの少し抵抗して、カップ焼きそば用のお湯を準備する。なんでもいいから腹にいれたかった。電気ケトルに水道から必要最低限の水を供給し電源を入れる。水が100度になるのを待つ間、包装を剥がして中から薬味やソースを取り出した。そして思い出したようにコップに水を汲み250mlほどを体に流し込む。

僕はまだ生きたいんだろうか?

そんな問いが頭をよぎる。眠るのも食べるのも生きるための行為だ。思考でいくら覆い被せたとしても本能的欲求に打ち勝つのはそれなりの覚悟がいることなんだろう。自分の存在があまりにも希薄で、色褪せて中途半端で、ただ負の感情だけをアイデンティティーとしてしがみついているだけの、しょうもないものに感じる。

虚無感の中にカチッと機械音が響く。お湯が出来上がったようだ。なんの意味もないのだが、こぼさないようにカップに注ぐ。水分子の一部は湯気となって空中を漂い消えていくが、それを遮るようにして蓋をする。

スマホで3分のタイマーをセットし、カウントダウンの数字を見つめる。心の傷は時間が解決してくれるというが、この数字がいくら積み重なったとしても何かが変わるとは到底思えない。時の矢は一方向にしか進まず、どんな物質も長い宇宙の歴史では滅びに向かうだけだろう。それは人も例外ではなく、結局のところ生きる意味なんてどこを探したって見つからないのは分かりきっていた。

セットした時刻を知らせる耳障りな音を聞く直前にタイマーを止める。用済みの湯を捨てるための穴からシンクへとこぼし、ある程度の水を切る。粉末のソースを水分を取り戻した麺にふりかけ、箸で底からひとつかみ掬いだしてかき混ぜたあと、面倒になって僕は死ぬことを決めた。

遺書を書こう。誰にも迷惑をかけずに死ぬんだ。箸を置いて熱々の焼きそばをゴミ箱に捨てる。何故かひどくさっぱりした気分だった。朝早くロープを買おう。そしていつだったかウィルスミスが『7つの贈り物』とかいう映画でやったみたいに自分で警察に通報するんだ。美しいクラゲで死ぬなんて洒落た真似は僕にはできないけれど。

パソコンが起動音を鳴らす。ずっと放置していたブログを立ち上げてキーボードをたたき始める。誰に宛てて書く訳でもない、彼女にも彼にも読まれない文章。警察かなんかが見つけて家族なんかには見てもらえるかもしれない。

「この文章を誰かが読む頃には僕はもうこの世にはいないでしょう。」

こんな書き出しはありきたりでつまらないとも思ったけど、遺書に面白さは不要だと思い直す。

「ああ…いつ死んだっていいんだ。」

吐く息にまざってポツリと口に出た言葉。久しぶりに自由な気分だった。死んで全てなくなるんだと受け入れた瞬間に澱んでいた悩みが軽いものとして溶けていく。彼女も死んで僕も死ぬ。彼女のいない世界で生きる意味はないさ。死んだあと天国なんてあるのかはわからないし、もし仮にそんなものが存在したとして彼女に会うことができる確率も低そうだが、少なくとも生きているよりは賭けるに値する。

そもそも僕が天国にいけると考えているのは傲慢かもしれないけど。

ぼんやりとした状態から遺書に意識を引き戻す。さて、何を書こうかな。

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