小説『海風』第13話

パチパチと薪が爆ぜる音がする。

火は好きだ。ゆらめきの中に荒々しさと儚さが両立している。きっと魂が見えるとしたらこんな風に見えるだろう。そんな柄にもない言葉が心の縁で一瞬の揺らぎとして観測される。

小さい頃、家にいるのが嫌でよく海に出かけていた。夕方、ほとんど人気のない砂浜で一人の老人が焚き火をしていて、よく俺はそこに勝手に混じって火に色々なものを投げ込んだ。学校でもらったプリントの束。訳もわからず書き殴ったノートの切れ端。ポストに来ていた手紙。紙という絶好の有機物を獲た炎は俺の背丈をゆうに超えて高く燃え上がり、書かれていた言葉も灰塵となって消えていくような気がした。

どこから来てどこに帰っていくのかも分からない老人は、流れ着いてから海風と太陽によってカラカラになった木を淡々とくべて、俺に何を言うでもなく火を見つめている。なんとなく寂しげな背中のその老人に親近感を覚えて話しかけた。

「ねえ、爺さんも一人なの?」

「いいや。」

「じゃあ帰ったら婆ちゃんや子供がいるんだね。俺は帰っても独りなんだ。親は居ても、独りぼっちなんだ。」

「いいや。わしには子供も伴侶もおらんよ。」

「じゃあやっぱり独りなんじゃん。」

なんだか仲間を見つけたようで少し嬉しかった。他人の不幸は自分も不幸だと安心の材料となる。

「違う。人は決して独りにはなれない。お前が生きているということは、お前が独りなんかじゃない証拠だ。わしが生きているということは、わしも独りじゃない証拠だ。」

「意味わかんないよ。俺には誰も、本当にいないんだ。見て見ぬふりをするか、俺なんか存在してる価値なんてないって顔で殴ってくるか、無関係を貫くか、でしかないんだよ。いっそ何もかも燃えてしまえばいいのに。」

「いいか、人は独りでは生きられない。たくさんの命とつながって今がある。それにお前は……」

カッとなった俺は爺さんの声を遮って喚き散らす。

「そうかもしれないけど、理屈なんか知らないよ。こんなに苦しいならいっそ本当の本当に世界で独りっきりの方がいい!爺さんにわかるわけがない!こんなところで年金もらって焚き火してる田舎の気楽な爺さんなんかに!」

「ああ、お前の苦しみはお前にしかわからない。でもな、痛みを知っている人間は強くなれる。お前は将来有望だ。」

自分を認められた気がして少し気が緩んだ。でも怒りの勢いは急ブレーキを無視して止まることなく、プイとそっぽを向いてしまう。

「心も炎のようなもの。無意識の中には出会ったたくさんの人や物が薪として燃えていて、本音や本当の自分なんてのがあるのかもわからん。」

爺さんの目は火を見つめ、焚べるように言葉を置く。
俺は心を見透かされたようでなんだか気まずく、無言のまま火を見ていた。

心も炎のようなもの。

三人で焚き火を囲みながら、そんな言葉と映像が炎に映し出されるように自然と脳裏に浮かぶ。
まるで胸の中の薪に火が点いたように。

「焚き火って、なんか、いいね。」

「ね〜!本当に癒される!」

二人は真ん中でゆらゆらと灯る炎に吸い込まれるように見惚れている。俺はそこに火吹き棒で空気を送り込むと、ブオオォと唸るような音がして力強く燃え上がり三人の顔を照らした。

一息ついて彼女が続ける。

「そういえば、アメリカのインディアンの世界では焚き火は神聖で、ご先祖とか魂の世界と繋がってるって言われてるらしいよ。」

「不思議だけどしっくりくるね。僕はあんまり見られたくはないけど。」

「なあ、マシュマロでも焼こうぜ!」

俺は聞いてなかったかのように話を遮って、串に刺したマシュマロを焼き始める。なんとなく深い話に入り込むのが嫌だった。

「私も食べるっ!マッシュマ〜ロ♪マシュマロ〜♪」

「マシュマロ美味しいの?甘すぎて嫌いなんだよね。」

「俺も通常時は嫌いだけど、焼くと美味いんだよ!」

言うまでもないのか、彼女はご機嫌にマシュマロをくるくると回転させている。

「じゃあ僕も試しに。」

彼女は慣れた手つきだ。炎と絶妙な距離を保ちながら全面をきつね色に焼いて、口に運ぶ。

「んんーー!おいひい!焼きマヒュマロ!」

「どうしたらそんなに上手く焼けるの?」

あいつは片面が真っ黒になったマシュマロを頬張って微妙な顔だ。

「お前、不器用だな。」

俺は熾火のそばで育て上げた嗜好の一品をモシャモシャと食べる。あいつはむすっとした顔つきをするが、すかさず彼女が声をかける。なかなか積極的だな。

「これあげるよ!これなら美味しいはず……!」

「ん、確かに美味しい。」

「でしょ〜?」

「こんなに味が変わるんだね。」

そんなやりとりをしているとマシュマロ一袋はあっという間になくなっていた。焚き火も薪の残量的に明朝の分を考えるとここらが潮時だろう。

「ラスト一本入れておわりにしようか。」

「もっと焚き火してたかったけど、そうだね。ラスト一本!」

どうやら二人とも俺と同じように思ったらしく、本日最後の一本を焚き火台に突っ込む。

「楽しかったね〜!」

「うん。あり得ないけれど、なんだか前にも三人で焚き火を囲んだような気がするよ。デジャブかな。」

「確かにそうだな。」

「私もそう思う〜!」

あり得ない、か。

最後の薪がパチパチと音を立てる。

人は炎のようなものだな。あの老人は誰だったのだろう。ふとそんなことを思った。

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